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「長野東って…どこ?」ライバル校も衝撃…地方の公立校がナゼ全国高校駅伝の女王に? 18年前「部員は3人だけ」からの“奇跡の軌跡”を振り返る
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別府響Hibiki Beppu
photograph by取材対象者提供
posted2025/12/21 06:03
2007年に初めて都大路に出場した長野東高校。エース区間の1区を務めた小田切亜希は、周囲も驚く区間4位の好走だった
ところが、翌年以降の長野東は思わぬ足踏みを強いられる。
1期生の3人が最終学年を迎えた翌2008年は前年のメンバーが全員残ったことに加えて、新たな有力ルーキーも加わった。一方で、県大会は無事に2連覇したものの、都大路では順位を1つ上げただけの16位に終わる。
決して悪い順位ではないとはいえ、前年度が下級生だけだったことを考えると、少々物足りない結果でもあった。美春が振り返る。
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「この年は前年とは違って明確に8位入賞を目標にしていました。それだけに16位というのは悔しさしかなかったです。そこまではなんだかんだで毎年、チームとしての目標は達成できていて、『よかったね』で終われていた。でも、この時に初めてチームとして壁にぶつかったような気がします。レース後に、地元紙の記事で《16位で悔しいと思えるようになったことが収穫》と書いてもらえて……それだけがすごく救われました」
そして1期生の小田切や西澤姉妹が卒業した2009年は、一気に31位まで順位を落とす。2010年に14位まで立て直し、この頃には県内では王者としての強さを盤石にし始めたものの、当初から目標としていた「全国大会で入賞できるチーム」には届きそうで届かない年が続いた。
「もっと早く上位に行けたかもしれない」けど…?
結局、初の8位入賞を達成したのは、初出場から4年後の2011年だった。玉城はこの頃のことをこう振り返る。
「その後もまた順位を落とした年もあって、安定して入賞できるようになるには結局最初に出てから7、8年はかかったのかな。初めての都大路が17番で、そこからどんどん戦力が整ってきたことを考えると、もっと早く上位に行くこともできたんだと思うんですけどね。いま考えればですけど、レベルを上げきれなかった部分はあった。言い方が難しいですけど……生徒任せの部分がすごくある練習スタイルだったので」
もしこの時に玉城がしびれを切らして、自身が主導権を握って、選手たちにガンガンと追い込んだ練習をさせていたら――ひょっとすると長野東はもっと早く結果を出していたのかもしれない。

