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プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
「消えろ」「大嫌い」SNSでの誹謗中傷も…“女子プロレス界の貴婦人”桜井麻衣の壮絶体験「支えてくれたのはジュリアさんでした」《特別グラビア》
text by

原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2025/12/05 17:35
マリーゴールドで活躍する桜井麻衣。フェリス卒の“お嬢様レスラー”として知られるが、デビュー後の道のりは壮絶なものだった
「デビュー1周年の日も物販で…」どん底だった新人時代
桜井は2020年、アクトレスガールズでプロレスラーになった。
「プロレスを始めたころは細いからたくさん食べました。はじめ45kgだったんですよ。筋肉量が測れる体重計で測定したら、一般女性の筋肉量の半分しかなかったんです。なのでまず、人並みの筋肉量になるまでが一苦労でした。プロレスラーとしてはもちろん全然ダメで。デビュー1カ月前になると、午前、午後、夜と一日中練習して、ようやく2020年2月にデビューできた。でもその矢先、コロナ禍で試合ができなくなった」
再びリングへ上がれたのは半年後だった。
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「この時、まだデビューしたばかりで色々な動きが体に染み付いてないまま、空白の半年間を過ごしました。デビューしてからキャリアだけが半年経過してしまっている、経験値がほぼゼロでマイナスからの再スタートみたいな感じでした。トレーニングを頑張っても新人なので試合をなかなか組んでもらえないこともあって、デビュー1周年の日にすら試合が組まれず、物販スタッフとして働いていました。当日、応援しに来てくれたファンの人の悲しい顔を見るのが辛かった。申し訳なかった」
桜井は苦悩した。
「どうすれば現状を変えることができるのか分からず、プロレスに対するやる気を失いかけていました。そんな時に団体がプロレス団体じゃなくなることを聞きました。私はプロレスデビューしてまだ1年も経っていないし、まだ試合経験も全然ない。デビューするまでにしてきた練習、苦労、費やしてきた時間も含めて考えたら、このまま何も残さず引退したくないと思い、プロレスを続けることを決意しました。なので、退団したいと代表とは何度も何度も話し合いましたが、話の折り合いがつかず、結局、“解雇”という形で発表されました」
その理不尽さに桜井は怒りが込み上げてきた。
「何か悪いことをした訳でもない、契約書がある訳でもないのに解雇じゃないと辞められないって何でだろうって思いながらも、揉めた話し合いで精神的に疲れてしまい、もう何でもいいや、と諦めていた自分もいました。当時の自分は経験が全くない、ド新人なので他の団体の方との伝手もない。未来が真っ暗でした。そんな時に、アクトレスからスターダムへ移籍した先輩である、ひめかさんに相談しました。その日のうちに(ロッシー)小川さんを紹介して頂きました。初めて会ったにもかかわらず、小川さんは『うちでやってみたら』と言ってくれました」

