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NHK中継で“異例の高視聴率5%”棋界のプリンス真部一男とは何者か「雑誌ananで向田邦子と対談、ミス東京と結婚」「囲碁との二刀流も模索」
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph byNanae Suzuki/Kyodo News
posted2025/12/07 11:01
昭和の将棋界を彩った1人、真部一男。プロ入り後の華やかな人生を旧知の田丸昇九段が記す
《その夜は僕も酔い、彼も酔った。彼の特技は、逆立ちして部屋を一周することである。温泉の浴衣を着て逆立ちして、水色のパンツを見せ、芸者衆からヤンヤの喝采を浴びた》
眠れると思えば、酒を飲まなくても眠れるよ
1973(昭和48)年2月、関東三段リーグで真部は11勝1敗の成績で優勝した。そして関西リーグ優勝者の淡路仁茂三段と、四段昇段をかけて対戦することになった。しかし真部は2年前のトラウマもあってか、不安を抱えていると聞いた。さらに淡路とは1勝3敗と負け越していた。
山口は真部と会って「普通に指せば勝てるさ」と励ましたが、当日夜に真部が負ける悪い夢を見た。明け方に飛び起きると、真部に手紙を書いて送った。その要旨は次の通り。
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(1)普通に指せば勝てると言ったのは大間違い。将棋は気力です。必ず勝つと思って指せば、きみは勝てる。
(2)きみは緊張しているだろうけど、それは相手も同じ。形勢がよければ、相手は焦っていると思い、こちらは落ち着くこと。形勢が不利でも、相手は緊張して悪手を指すかもしれないと思い、決してあきらめないこと。
(3)きみの目下の仕事は、睡眠と勉強以外にない。眠れると思えば、酒を飲まなくても眠れるよ。
1973年2月22日。真部三段−淡路三段の東西決戦は、大阪・阿倍野の旧関西本部で行われた。真部は大阪に向かう新幹線の車中や前夜の布団の中で、山口の手紙を繰り返し読んだ。師匠の加藤治郎八段からの「おまえさん、途中で投げちゃいけないよ。悪くても最後まで粘るんだよ」との言葉も肝に銘じた。
私こと田丸四段は、東西決戦の観戦記の取材で関西に行った。
真部は和服を着用して臨んだ。そして落ち着いた指し方でリードを保ち、苦手な淡路に勝った。真部は奨励会に入って8年目に21歳で四段に昇段し、晴れて棋士になった。息子の朗報を受けた母親は、うれしさのあまり大泣きしたという。
中原との特別対局中継…NHKで異例の視聴率5%
真部は棋士になると、豊かな才能を発揮して公式戦で活躍。1975年には将棋大賞で新人賞を受賞した。その真部四段と四冠を保持する中原誠名人が、NHKの特別企画として同年7月に対戦することが実現した。対局場は中原の郷里が近い宮城県仙台市のホールで、1000人以上の将棋ファンが詰めかけた。真部にとって、この上ない舞台となった。
真部は対局前に、「今日の対局は、いずれ名人に挑戦する前哨戦と思っているので頑張ります。勝算は五分五分です」と力強く宣言した。
その言葉どおり、真部は中原と互角に渡り合った。

