「誰か指してくれないかな」筋骨隆々から原因不明の異変…豊島将之の対局直後、55歳で死去・真部一男の壮絶な晩年「しかし幻の名手は1カ月後」

　真部一男九段の棋士人生を振り返る「旅立ち編」。真部は40歳頃、後ろを振り向いたり首を回すことができなくなるという、原因不明の異変が生じた。そんな不自由な生活の中で、文筆活動を精力的にこなして数々の名文を書いた。

　しかし、体調は次第に悪化していった。2007年の順位戦対局では、昼食休憩の前に投了する事態となった。そのとき指したかった幻の名手は、後日に別の棋士によって偶然に指される――。

筋骨隆々だった真部の身体に異変が

　真部一男は高校時代に体操部に所属し、筋骨隆々の体格だった。逆立ちして部屋を一周、片手で腕立て伏せは、お手の物であった。腕力を強くする理由について「もし崖から落ちそうになったとき、片手で地につかまって体を支え、もう一方の手で女の子を離さずにいられるようにね」と、冗談ぽく言ったものだ。

ADVERTISEMENT

　ところが前述のように、40歳頃に身体に異変が生じて、不自由な生活を送ることになった。　

　囲碁好きの真部は囲碁クラブに通いつめ、閉店まで8時間も打つことがあった。同じ姿勢を続ける行為が長期に及んだことで、頚椎に悪い影響が出たのかもしれない。

　真部は30代後半の頃、15歳年上の女性評論家と親しくなり、自宅でともに暮らした時期があった。その女性は家事をしたり真部を介護する母親のような存在だったかもしれない。真部は「塩むすびがあんなに美味しいとは……」と言った。

　真部とよく飲んだ間柄の1人に、『将棋世界』編集長の大崎善生（後年に『聖の青春』を刊行して作家に転身）がいる。話題は文学、哲学、数学、漫画など多岐にわたった。大崎は真部の博覧強記ぶりに驚いたという。原稿をぜひ書いてほしいと何回も依頼したが、体調面の不安からか断られ続けた。しかし、2年後に執筆するとの返事がきた。

順位戦で憔悴しきった真部が

　1997年3月号から『将棋論考』という表題で、真部の連載が始まった。多様な視点で将棋に関する記事を、格調の高い文章で綴った。時には趣味の囲碁も題材にした。同誌の人気企画となり、10年以上も連載された。真部の弟子の小林宏六段は、大崎にこう伝えた。

【次ページ】　豊島将之戦の投了局面と“幻の名手”