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NHK中継で“異例の高視聴率5%”棋界のプリンス真部一男とは何者か「雑誌ananで向田邦子と対談、ミス東京と結婚」「囲碁との二刀流も模索」
posted2025/12/07 11:01
昭和の将棋界を彩った1人、真部一男。プロ入り後の華やかな人生を旧知の田丸昇九段が記す
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
Nanae Suzuki/Kyodo News
真部一男九段の棋士人生について振り返る「棋界のプリンス編」。1973年の「東西決戦」では師匠の加藤治郎八段や作家の山口瞳に励まされ、勝って棋士になると豊かな才能が一気に花開いた。公式戦で中原誠名人を連破して活躍。端麗な容姿からテレビの情報番組や時代劇に出演し、メディアの寵児に。ミス東京に選ばれた才媛との結婚も話題を呼ぶなど、棋界のプリンスと称されるにふさわしい人気ぶりだった――。
プロ目前の敗北後、生活を改めた
1971(昭和46)年、真部一男三段は奨励会の関東三段リーグの3期目で優勝し、世にいう「東西決戦」(東西リーグの優勝者同士の対局で、勝者が四段に昇段する仕組み。当時は年間2人が棋士になれた)で、関西優勝者の森安正幸三段と対戦した。
結果は第1回で触れた通り、真部が中盤で早々に投了。真部はその後、情緒不安定の時期を過ごしたが、やがて自身の生活を改めた。新宿で遊ぶことはやめ、将棋に打ち込んだ。昼過ぎに将棋会館に行き、棋譜を並べたり好きな囲碁を打ち、階上の対局も観戦。夕方には自宅にまっすぐ帰った。そうした日々が半年以上も続き、合間には少林寺拳法を習って体を鍛えた。
作家の山口瞳が目にかけていた
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そんな真部をかねてより目にかけていたのは、作家の山口瞳である。
山口は将棋と棋士を熱烈に愛し、文芸誌で一流棋士10人と飛車落ちで対戦する『血涙十番将棋』を連載して人気を博し、その対局は奨励会員が記録係を務めた。中でも才気煥発な真部を気に入っていた。
前述の東西決戦に敗れた後、真部に「次回は昇段できるよ」と励ましたが、憔悴した様子を正視できなかったという。山梨県甲府市の対局後の打ち上げで、真部について山口は次のように綴った。

