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NHK中継で“異例の高視聴率5%”棋界のプリンス真部一男とは何者か「雑誌ananで向田邦子と対談、ミス東京と結婚」「囲碁との二刀流も模索」 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byNanae Suzuki/Kyodo News

posted2025/12/07 11:01

NHK中継で“異例の高視聴率5%”棋界のプリンス真部一男とは何者か「雑誌ananで向田邦子と対談、ミス東京と結婚」「囲碁との二刀流も模索」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki/Kyodo News

昭和の将棋界を彩った1人、真部一男。プロ入り後の華やかな人生を旧知の田丸昇九段が記す

 真部の四間飛車に中原の棒銀という戦型から、飛車が敵陣に侵入した▲6三飛成の局面に進んだ。真部の銀損だが△5三金▲7六角の王手で迫っていった。そして激闘の末に、真部が見事に勝った。

 中原−真部戦が後日にNHKで放送されると、視聴率は将棋番組としては驚異的な約5%だった。真部の人気はさらに高まっていき、メディアにも注目された。

 真部は民放の情報番組で設けられた初心者向けの将棋講座に、講師としてレギュラー出演。テレビ時代劇『銭形平次』に幕末の名棋士・天野宗歩の役で特別出演し、主役の大川橋蔵と共演。後年に直木賞を受賞した脚本家の向田邦子とファッション誌『anan』で対談。真部はメディアの寵児となり、端麗な容貌から「棋界のプリンス」と称された。

ミス東京のニュースキャスターとも結婚

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 真部は中原名人に3連勝するなど、公式戦で大活躍した。ただNHK杯戦の決勝で米長邦雄八段に敗れ、ここ一番に弱い傾向があった。

 真部はメディア関係者の紹介で、ニュースキャスターの草柳文恵と交際した。評論家の草柳大蔵の長女で、青山学院大学に在学中にミス東京に選ばれた才媛だった。

 1978年12月3日、真部と草柳の結婚式が都内ホテルで挙げられた。

 媒酌人は新郎の後援者の医師で、棋士・報道関係者・ファンなど約200人が列席した。その光景はテレビでも放送された。

 真部は先輩の米長八段に倣って亭主関白を目指したが、その日ばかりは頬が緩みっぱなしだった。なお、独身時代に好きな女性のタイプは女優の大谷直子と言った。草柳のうりざね顔はそれを彷彿させた。

 81年にNHKのある番組で、真部が自宅に若手棋士と奨励会員を集めた研究会の光景が放送された。昼食には文恵夫人が作ったカレーライスがふるまわれた。「私は背が高いので、《小春》ではなくて《大春》になります」と笑顔で語ったのが印象的だった。伝説の棋士・阪田三吉の妻の小春(ドラマの役名)は、夫の将棋人生を献身的に支えた。しかし真部と文恵は、結婚から数年後に性格の不一致があったのか離婚した。

 真部は1982~87年にかけて、棋聖戦、王座戦、棋王戦の挑戦者決定戦に計5回も勝ち進んだ。しかし内藤國雄九段、森安秀光八段、桐山清澄九段らの関西勢に敗れ、タイトル戦初挑戦は成らなかった。

36歳で順位戦A級昇級…模索した囲碁との二刀流

 そんな真部が、キャリアに大きな足跡を残したのは1988年3月11日のことだった。

【次ページ】 40歳頃から身体に原因不明の異変が

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