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NHK中継で“異例の高視聴率5%”棋界のプリンス真部一男とは何者か「雑誌ananで向田邦子と対談、ミス東京と結婚」「囲碁との二刀流も模索」
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph byNanae Suzuki/Kyodo News
posted2025/12/07 11:01
昭和の将棋界を彩った1人、真部一男。プロ入り後の華やかな人生を旧知の田丸昇九段が記す
B級1組順位戦の最終戦で真部七段は勝浦修九段と対戦した。勝者がA級に昇級する大一番だった。真部は終盤で負け筋だったが、勝浦が時間切迫から悪手を指して逆転勝ちした。真部は14期目の順位戦の36歳で、一流棋士の証となるA級への初昇級を果たした。ただ盤上盤外で挫折を経験してきたゆえか、局後の検討で笑顔を見せることはなかったという。
凝り性の真部はとりわけ囲碁に熱中した。毎日のように碁盤に向かい、囲碁クラブに通ったかと思えば、3冊の囲碁大辞典を購入し、すべての囲碁月刊誌を読みふけった。ある随筆で、こう自嘲気味に書いたことがある。
《これまでに囲碁に費やした時間は48000時間、打った局数は5000局、読んだ碁書は延べ18000冊。これは将棋指しとしては異常で、自慢にならない》
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さらに、囲碁棋士になりたいと思ったものの、正規の試験を受けて合格する実力はない。そこで個人的に縁がある大御所の藤沢秀行名誉棋聖(藤沢の孫が将棋棋士志望で、その師匠に真部がなった)に仲介をお願いしてみると、年齢制限があって無理とのこと。囲碁棋士との二刀流の夢は叶わなかった。
40歳頃から身体に原因不明の異変が
そんな真部は40歳の頃、身体に原因不明の異変が生じた。首から背骨が一直線になり、すぐに後ろを振り向いたり、首を回すことができなくなったのだ。その頃から公式戦の成績も低迷した……。
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