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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「プロは結果がすべて。でも…」広岡達朗の“正義感”とは?「野村克也に嫉妬するわけないだろう」呼ばれなかった“ヤクルト球団50周年記念イベント”
text by

長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2025/12/05 11:26
2019年7月11日、神宮球場で行われた「SWALLOWS DREAM GAME」で打席に立つ野村克也
確かに広岡の言う通りだった。これ以上、広岡と野村を比較し、本人にそれを語らせることに何の意味があるのだろう。そう考えて、話題を変えようとすると広岡が言った。
「プロは結果がすべての世界だよ。でも、人生は結果がすべてではない。私はこれまで、自分の信じてきた道を進んできた。その点に関してはまったく恥じることはない」
それが、広岡の持つ正義感だった。そして、この愚直な正義感が原因となって、これまで多くの軋轢を生んできたのもまた事実だった。
「野村に嫉妬するはずがあるわけないだろう」
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話題を切り上げようと思いつつ、ついもう一つだけ質問を続けてしまった。
2019年7月11日、小雨交じりの神宮球場ではヤクルト球団設立50周年を記念してOBたちによるスペシャルマッチ「SWALLOWS DREAM GAME」が行われた。一塁側「GOLDEN 90s」を率いるのは野村克也。三塁側「Swallows LEGENDS」を率いるのは若松勉である。生前の野村が最後にスワローズのユニフォームに身を包み、神宮球場に登場した忘れられない一日である。
この日、すでに足腰も弱っていた野村は、愛弟子たちに支えられるように「代打オレ」で打席に立った。現役時代はパ・リーグひと筋で生きてきた野村が、非公式戦とはいえ初めてセ・リーグの試合で打席に立った記念すべき瞬間だった。
しかしこの日、一つだけ残念なことがあった。華やかなお祭りムードの中に、「広岡達朗」の痕跡がほとんどなかったことである。『ベースボールマガジン』(2021年7月号)において、広岡はインタビューでこんな言葉を残している。
《球団創立29年目にして初のリーグ優勝、日本一へと導いたのは私だ。にもかかわらず、2019年に行われたヤクルト球団50周年記念イベントに呼ばれなかった。いったい私を誰だと思っているんですか?》
まさにその通りだった。
――あなたも出場したかったですか?
この件について尋ねると、広岡は憤然として答えた。
「当然だよ。ただ、足腰が弱っているから神宮には行けなかったけど、ビデオメッセージでも何でもいいから私も参加したかったよ。あの日、若松も、松岡も、安田もいたんだろう? 当然、行きたかったよ」
無粋を承知で、「監督を任された野村さんに対する嫉妬もありましたか?」と尋ねると厳しい口調で一蹴された。
「野村に嫉妬するはずがあるわけないだろう」
広岡の野村に対する思いが垣間見えたような、そんな瞬間だった。
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