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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「岩瀬仁紀を一人にしたら危ない…」中日・落合博満監督が苦しんだ“唯一のシーズン”北京五輪で5人離脱…岩瀬から森繁和に憔悴の電話「早く帰りたいです」
text by

森繁和Shigekazu Mori
photograph byJIJI PRESS
posted2025/11/28 11:01
落合ドラゴンズ時代、最も苦しんだ2008年シーズンのウラ話
「一人にしたら危ない…」惨敗で憔悴の岩瀬
オリンピックから戻ってきた憲伸、岩瀬が直ぐに使えなかったのも痛手だった。
選手達が帰国したとき、チームは東京に遠征中だったため「名古屋のほうに帰っていい」と言っていたのだけれど、岩瀬と憲伸はチームが東京の定宿にしていたホテルニューオータニへ空港から直接来た。久々に二人に会って直ぐに「こいつらしばらく使えんぞ……」と思った。
憲伸はその後に名古屋に帰らせて二軍で調整をさせたけれど、なかなか調子が上がってこなかった。一軍で投げられるようになるまで一ケ月ほどの時間を要した影響で、5年連続の二桁勝利と規定投球回到達を逃した。
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岩瀬はもっと深刻だった。名古屋に帰ることを拒んで「(チームと)一緒にいさせてください」と懇願してきた。「一人にしておいたらこれは危ないんじゃないか……」と私が心配になるくらいに憔悴していた。だから投げる予定はなかったけれどチームに帯同させて一緒に練習させた。
落合さんにとっても8年間の中で一番選手のやりくりが大変な年だったと思う。
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