テレビに映らない大谷翔平:番記者日記BACK NUMBER
佐々木朗希「マジ?」NHKが捉えた山本由伸ブルペン入り「球場がザワついたのは18回1死」「大谷翔平は26時就寝→翌日先発」ドジャースWS死闘ウラ話
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柳原直之(スポーツニッポン)Naoyuki Yanagihara
photograph byMediaNews Group/Pasadena Star-News via Getty Images
posted2025/11/23 06:02
ワールドシリーズ第3戦、ベンチで会話する佐々木朗希、大谷翔平、山本由伸
日本で中継したNHKのカメラは、17回表の山本とロバーツ監督とのやり取り、そこからブルペンに向かう山本らへ「マジ、マジ?」との口ぶりでリアクションする佐々木の姿を捉えていたが――現地ドジャースタジアムのスタンドがざわついたのは延長18回1死。山本がブルペンでキャッチボールを始めたタイミングだった。
105球で2試合連続完投勝利を飾った25日の第2戦から中1日。直後の攻撃でフリーマンのサヨナラ弾が飛び出し、予定された19回からの登板はなくなったが、試合後に「もう投手もいなかったのでいくしかない。体調的にいけると思った。こんな大接戦だったので全員で勝てたのはうれしかった」と志願してのブルペン準備だったことを明かした。
本来は休養日。それでも12、13回あたりから心の準備をしていたという。
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「監督が絶対に(投げても)いいと言わないと思ったけど、どうしても仕方なかったので“準備しながら話し合おう”となった」
矢田修という方がどれだけ凄いかを証明できた
延長15回にクラインが登板し、残る投手は山本と29日の第5戦で先発予定のスネルの2人とDHの大谷。タイブレーク制のないPS。WS史上最多の10投手をつぎ込み、両軍19投手の登板も同最多。野手含め44選手が出場したのはWS史上2番目の、まさに歴史に残る総力戦だった。
「19歳の頃は何でもない試合で投げて、10日間くらい投げられなかったりした。そこから何年も練習し、WSで完投した2日後に投げられる体になったのは凄く成長を感じた」
出番はなかったが、ブルペンでの準備を通じて自身の成長を感じていた。オリックス時代からトレーナーの矢田修氏の指導の下、さまざまなメニューをこなして体幹を強化してきた。この日のブルペン投球も矢田氏に見守られ「僕がウォームアップを始めたら気付いたら後ろにいた」と笑い、「矢田修という方がどれだけ凄いかを証明できた」と誇った。
翌日からは先発調整に戻り、31日の敵地での第6戦先発に備える。興奮冷めやらない様子で球場を後にした。
第4戦先発…ゲレーロJr.に浴びた痛恨の一発
両軍の選手はもちろんだが――報道陣にとってもタフな1日となった。
私が全ての原稿を書き終えたのは午前4時10分。翌日の第4戦に備え、球場のあちこちで清掃作業が進んでいた。強烈な風でゴミを一気に吹き飛ばす業務用マシンの巨大な音が鳴り響く。5階や7階からゴミを1階まで投げ飛ばす清掃員もいたが、これらがゴミを一箇所に集める効率の良い手法なのだろう。
記者室にまだ残っていた数人の日本人記者の先輩がたにあいさつを終え、記者室を出た。PS取材の過酷さは覚悟していたが、まさかここまでとは……。この日のことは記者を続けている限り決して忘れることはないだろう。
10月28日の第4戦。大谷がWS第3戦の延長11回の走塁時に不自然な足の運びを見せたアクシデントから一夜明け、試合前会見で指揮官は「翔平は“状態は良い”と言っていた。様子を見ながら対応していく」と説明した。

