熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「練習態度まで批判され、こんな監督の元では…」「ホンダは高卒時点でギラギラしてた」“J1通算124発”名ブラジル人FWが今だから明かせる裏話
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沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTamon Matsuzono
posted2025/11/16 11:00
大分トリニータ時代のウェズレイ
「大分のファンの熱意に、我々選手は皆、心から感動していた。それだけに、何としても彼らの気持ちに応えたかったし、それができて本当に良かった」
――この年、大分は一時は優勝争いにからみ、最終的に4位というクラブ史上最高の成績を残します。しかし、翌2009年は序盤から不調で、7月にシャムスカ監督が解任されました。あなたも右アキレス腱損傷など故障が多く、7月末まで14試合に出場して3得点。8月初め、退団を表明しました。
「契約は年末まで残っていたが、故障でプレーできないのに給料を受け取るのは嫌だったから、退団を申し出た」
ホンダは高卒すぐにギラギラした野生動物のような
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――あなたと対戦した田中マルクス闘莉王(当時浦和)は「身体が岩のように固くて強く、こちらから当たっていっても逆に跳ね返された。決定力も異次元。現役時代に最も苦しめられたストライカーだった」と述懐しています。
「そう言ってもらえると、嬉しいね。トゥリオも身体が強く、執拗に守備をする非常に手強いCBだった。あと第一級のストライカーとしての才能も備えていた(笑)」
――名古屋時代には、若き本田圭佑とも一緒にプレーしています。
「高校を出てすぐだったが、他の選手とはすべてが全く違っていた。ギラギラした野生動物のような雰囲気を全身から発しており、左足のテクニックとパワーが素晴らしかった。全体練習の後、よく並んで一緒にFKを練習をした。いずれ欧州クラブや日本代表で活躍する選手になる、と確信していた」
この男が日本でプレーしたのは、年齢で言えば28歳から37歳まで。実は、キャリアの中盤から後だった。その以前は、母国ブラジルでフラメンゴ、サンパウロなどの名門を含む7クラブを渡り歩いていた――。〈つづきは下の【関連記事】へ〉

