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「僕は9人兄弟なんだ」25歳でFW転向してシーズン54発…“コワモテ点取り屋”ブラジル人は「日本のこと何も知らなかった」ではなぜJリーグに?
posted2025/11/16 11:01
名古屋グランパス時代のウェズレイ
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Tamon Matsuzono
Jリーグ各クラブでゴールを量産したウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シウバは、ブラジル北東部の古都サルバドールで生まれ育った。アルビレックス新潟と浦和レッズなどで活躍したエジミウソン、川崎フロンターレなどでプレーしたジュニーニョと同郷で、彼らの出身クラブは揃って地元の強豪バイアである。そんなウェズレイは大家族の中から、プロ選手へと育っていった。
9人兄弟の第2子がプロになるまで
――どのような家庭で生まれ育ったのですか?
「男7人、女2人の9人兄弟の上から2番目。父親は、長距離トラックの運転手。幼い頃からストリートや広場でボールを蹴り、1986年、13歳で地元のバイーアのアカデミーの入団テストを受けた」
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――どんなテストだったのですか?
「20分くらいプレーする試合形式で、飛び抜けて優れた子だけが合格する。約500人が受験した。僕は特に好きなポジションがなかったので、『ボランチをしたい奴』と言われて思わず手を上げてしまった(笑)。でも、意外にうまくプレーできた。合格者は、僕を含めてわずか3人だった」
――それは凄まじい競争率です。実際にアカデミーに入り、本格的な練習を始めたわけですね。
「みんな、プロになる気で毎日必死に練習していた。それを見て、僕も本気でプロを目指すようになった。深く考えずに始めたボランチも、次第に好きになった。生来、僕は体が強く、相手を跳ね飛ばしてボールを奪い取るのが性に合っていた。精度の高いキックも蹴れたから、攻撃の起点となることもできたしね」
――当時の憧れの選手は?
「バイーアのトップチームで活躍していたパウロ・ロドリゲス・バルク。選手生活の晩年に、ヴェルディ川崎でもプレーした。ヴェルディへ移籍した頃はキャリア終盤だったが、大柄で逞しく、足元の技術も高いボランチだった。あんな選手になりたい、と思って目標にした」
“悪童”ロマーリオとエジムンドの素顔とは
――あなたがバイーアとプロ契約を結んだのはいつですか?
「1991年、18歳だった。一つの夢が叶って、とても嬉しかった。しばらくは控えだったが、91年と93年の州選手権で優勝。94年にレギュラーになって州選手権も制覇し、グアラニーからオファーを受けて移籍した。そして、グアラニーでのプレーが認められ、1995年8月、23歳でフラメンゴへ期限付き移籍した」
――フラメンゴは、当時も今も、ブラジルを代表する超ビッグクラブです。

