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「チャントを聞いた瞬間、むちゃくちゃ鳥肌が立った」中村憲剛が胸に刻むスタジアムの声援と引退試合の真実

posted2025/10/31 17:00

 
「チャントを聞いた瞬間、むちゃくちゃ鳥肌が立った」中村憲剛が胸に刻むスタジアムの声援と引退試合の真実<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

text by

福田剛

福田剛Tsuyoshi Fukuda

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photograph by

Nanae Suzuki

「オー ナカムラ ケンゴー ナカムラ」

 昨年12月14日、2万2014人の観客で埋め尽くされたUvanceとどろきスタジアム by Fujitsuで行われた引退試合。4年越しにピッチ上でチャント(応援歌)を聞いた中村憲剛は改めて声援の持つ力を感じていた。

「チャントを聞いた瞬間は帰ってきた感じがして、むちゃくちゃ鳥肌が立ちました。試合に来ていただいた現役やOBの選手やタレントの方たち。そして、ファン・サポーターの皆さんが本当にすごく幸せな空気を作ってくださったので、本当に試合が終わるのがもったいなくて、あのスタジアムの空気の中でずっとサッカーをやっていたかったです」

コロナ禍が教えてくれた、声援のありがたさ

 川崎フロンターレのバンディエラ(チームの顔となる選手)が引退を決めたのはコロナ禍、真っ只中の2020年のこと。スタジアムの来場者数は制限され、声出し応援も禁止。12月に開催された引退セレモニーではチャントを歌うことは許されなかった。

「昨年末、引退して4年も経っているのに引退試合を開催したのは、引退後に人数制限がなくなり、声出しが解禁になったスタジアムに行った時にもう一度、この歓声の中で試合をしたいと感じたという僕自身の想いもありました。ファン・サポーターの皆さんからもチャントを歌って送り出すことができなくてすごく残念だったと言われることが多かったんです。引退試合を開催できて、自分の心残りだけではなく、ファン・サポーターの皆さんの心残りもしっかりと解消することができたと感じています」

 現役生活の最後に襲ったコロナ禍という悲劇。しかし、この経験をしたことで「改めて声援のありがたさを感じることができた」と中村は振り返る。

「スタジアムでの声援には、観客の皆さんの喜怒哀楽が出ます。ピンチになれば悲鳴が上がるし、チャンスだったら歓声が上がる。声援には声だけではなく、きっとみんなの想いが乗っていると思うんです。よく練習以上のものは試合では出せないと言いますが、試合中は声援に乗せられて想像以上のプレーができたりと、超越した何かが生まれる瞬間が必ずあるんです。ところが声援がないと気分が乗っていかないし、何よりもプレーをしていても楽しくない。これまでどれだけ皆さんの声援に支えられていたのかを痛感しました」

シルバーコレクターを経て掴んだ、最高の景色

 川崎という地域に密着し、クラブとしてファン・サポーターを大切にしているフロンターレ。その中でも中村はファンサービスに積極的に取り組む選手として知られていた。ゴールパフォーマンスはサポーターも一緒に盛り上がれるようにSNSで告知をし、イベントでは、かぶり物を纏ってサポーターの前に登場することも厭わなかった。

「最初から満員のスタジアムでプレーしていたら、そこまでファン・サポーターのことを意識することはなかったかもしれません。でも、2003年に加入した頃はフロンターレがまだJ2で、2階席は観客がほとんどいない状態でした。そこから自分たちの成績とともにサポーターの皆さんが増えていくのが、ピッチで見ていてもはっきり分かるんです。連勝してニュースに取り上げられると増えるけど、連敗するとちょっと離れるみたいな時期があったんですよね。だから僕らは勝ち続けなければいけないし、何より地元の人の応援があってこそ、僕らの存在意義があるとクラブからも言われていたので、消防服を着てポスターに載ったり、いろいろやらせてもらいました。必要とされることが嬉しかったですし、いろいろな人を巻き込みながら、ファン・サポーターが増えていく。それがまたプレーをする上で大きな力になりました」

 加入1年目の2003年は勝点1差で昇格を逃しJ2で3位に終わったものの、翌2004年は圧倒的な強さでJ2を制覇し、J1に昇格。J1 2年目の2006年には、早くもリーグ2位にまで上り詰めた。しかし、ここから優勝を手にするまでには11年を費やした。

「初優勝までJリーグ、カップ戦、天皇杯を含め、全部で8回2位になり、シルバーコレクターなんて言われましたけど、一番辛いのは試合を終えてサポーターに挨拶をするときです。フロンターレのサポーターはあまりブーイングをしないので、みんな怒りや悲しみを抑えて、拍手を送ってくれる。これが逆に堪えましたね。だからこそこのサポーターを日本一にしたい、最高の景色を一緒に見たいと強く思いました。2017年に初優勝をするんですけど、優勝がかかった試合を初めてホームで迎えることができたんです。優勝を決めた瞬間、選手もファン・サポーターもスタジアムにいる全員が幸せな空気に包まれているのを感じました。あの光景は一生忘れることはないと思います」

 中盤でゲームを支配する背番号14にとって、スタジアムの歓声はプロサッカー選手であることを証明するバロメーターでもあった。

「埼スタでの浦和戦は大ブーイングを浴びるんですけど、それが逆に楽しくてしょうがない。浦和でブーイングされるくらいの選手になったという証しなので、名誉なことだと思っていました。大ブーイングを浴びながらもゴールを決めると埼スタがシーンとする。この瞬間が、一番気持ちが良かったです。あとは誰もが予想していないところにパスを出すと、ホーム、アウェーを問わず、『え?』っていう間があってから歓声が上がるんです。試合中はそれを意識して、ここにパスを出したら絶対にスタンドが沸くなっていうところを狙っていました。ファン・サポーターの『そうきたか』みたいな歓声を聞くのが、プロサッカー選手としての醍醐味を感じる瞬間でした」

声をかけられる側から、声を届ける側へ

 現役を引退後、解説者そして、指導者として活動するようになり、声援を送られる側から選手たちに声援を届ける側へと、環境は180度変わった。

「現役の時も試合中は大きな声で指示を出すので、のどは大切にしていたんですけど、テレビで解説をするときは声が嗄れていてはいけないし、指導者としては30人近くいる選手の前で話さなければいけないので、選手時代の何倍も大きな声を出す必要があります。引退してからの方がのどの調子には敏感になりました」

 しっかりと通る声を出すことも指導者としては、重要なポイントとなる。

「指導者として何を考えているのかをちゃんと選手に理解してもらうためには、声はすごく大切です。僕も選手の時に指導者の声が聞き取りにくくて、何と言っているのか分からないことがありましたけど、選手としてはすごく困るんです(笑)。そうならないためにも、まめにのどをケアするようになりました」

 普段からカバンの中には「龍角散ののどすっきり飴」と「龍角散ダイレクト」を常備。常にのど飴でのどをうるおし、ちょっとでも違和感があるときは「龍角散ダイレクト」を服用するようにしている。

「『龍角散ダイレクトスティック』を初めて飲んだときは、スーッとする清涼感に驚きました。本当にのどに直接効くので、『ダイレクト』ってまさに神ネーミングだと思います。顆粒タイプは水なしで、いつでもどこでも手軽に飲めるので愛用しています」

 実は龍角散ダイレクトを飲むまでは、龍角散にちょっとだけ抵抗があったという。

「龍角散っておじさんが飲むものというイメージがあって……。といっても僕ももうおじさんですけど(笑)。のどには良いんだろうけど苦かったり、ちょっと飲み辛いんじゃないかと思っていました。それが飲んでみたらピーチはしっかりと桃の味だし、ミントも爽やかですごく飲みやすい。若い世代にもお勧めです」

 まさに龍角散ダイレクトこそ、シーズン終盤に向けて、熱い声援で選手の背中を押すサポーターに活用してもらいたいアイテムといえる。

「声は届くし、想いも届く。一人一人の声は小さいかもしれないですけど、それが何千人、何万人になると本当にすごいパワーを生むので、ぜひ万全ののどで選手たちに声援を届けてほしいですね」

 引退してはや5年、心残りとなっていた引退試合を終えた中村憲剛はどのような未来を見据えているのだろうか。

「S級ライセンスを取得したので、指導者も選択肢の一つとして入っています。メディアの活動やJリーグやサッカー協会からもサッカーを普及する仕事をいただいていますが、来年、何をやるのかは自分でも分かってないんです。ただ、いつお声がかかってもいいように、今はトップチームやアカデミー、大学といろいろなところで指導に回らせてもらっているなかで日々選手たちと接しながら、指導者としての準備をコツコツと進めているところではあります」

 指導者として理想とするのは、かつて代表で教えを受けたイビチャ・オシムだ。

「直接指導を受けたのは1年ちょっとでしたけど、すごく濃い時間を過ごさせてもらいました。ドラゴンボールの最長老様みたいに潜在能力をぐっと引き出してくれるところがありましたから(笑)。代表に招集される度にホントにワクワクして、何を教えてもらえるんだろう、何が見つかるんだろうみたいな……。その経験をしているので、自分としても選手の可能性を引き出すような指導者になりたいとは思っています。最近は、指導者としてはダメなのかもしれないですけど、選手は指導者が言ったことを守らなくても良くて、むしろこっちの想像を超えるようなプレーをしてくれた方が面白いと思うようになりました。『え? そこにパス出すの』って、ベンチでスタンドのお客さんと一緒に驚きの声を上げられたら最高ですね」

中村 憲剛Kengo Nakamura

1980年10月31日生、東京都出身。中央大卒業後、2003年に川崎フロンターレに加入。以降、現役生活18年をすべて川崎で過ごし、Jリーグ通算546試合出場83得点を記録。2016年には歴代最年長でJリーグ最優秀選手賞を受賞し、Jリーグベストイレブンに8度選出されるなど、中盤の司令塔として活躍。2020年に現役を引退。現在は、川崎フロンターレのFRO(フロンターレ リレーションズ オーガナイザー)として、アカデミー指導や地域との橋渡し役を務めるほか、Jリーグ特任理事、中央大学サッカー部テクニカルアドバイザー、サッカー解説者としても活躍中。

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