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「青木宣親さんがやってきた!」普通の工業系高校“初のドラフト指名”はなぜ起きた? ヤクルト育成1位左腕は「右利き用グローブで野球始めました」 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byKawasaki city high school for Science and Technology

posted2025/11/14 17:00

「青木宣親さんがやってきた!」普通の工業系高校“初のドラフト指名”はなぜ起きた? ヤクルト育成1位左腕は「右利き用グローブで野球始めました」<Number Web> photograph by Kawasaki city high school for Science and Technology

学校で初のNPBドラフト指名で、川崎総合科学高校は沸き返った。ヤクルトの青木GM補佐(右)の来校に、小宮悠瞳本人はもちろん、遠藤監督(左)もニッコリ

 2007年6月生まれの小宮は川崎市内で生まれ育ち、父の影響で幼い頃から野球に慣れ親しんできた。のめり込んだきっかけは、2016年の日本シリーズ。日本一になった日本ハムの大谷翔平、中田翔、西川遥輝に憧れを抱き、自ら好んで野球を見るようになった。

おばあちゃんが買ってくれた右投げ用グローブで

 初めて革のグローブを買ってもらったのも、その年の夏前。ただ、祖母から手渡されたのは右投げ用だった。小学校4年生の心優しい少年は左手にグローブをつけ、違和感を覚えつつも右手で投げていた。5年生から近所の東門前ガッキーズに入り、本格的に野球を始めても、夏が来るまでは『右投左打』の野手だった。

「せっかく買ってもらったので、なかなか言い出せなくて……。おばあちゃんは僕が左利きだから、左手でボールを捕るんだと思っていたんです。さすがに1年経ったので、左手で投げたいから、右手につける新しいグローブを買ってほしいと伝えました」

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 左腕の才能はすぐに見いだされたわけではない。地元の大師中軟式野球部でも、内野と外野を行ったり来たりしていた。チームは中1春に全国大会、中2夏に関東大会に出場しているが、小宮はエースでもなければ、レギュラーでもない。主な役割は守備固め。希望する投手として、試合に出場できたのは中3になってからだ。ただし、マウンドに上がるのはいつも2番手、3番手だった。

「僕が途中登板するのは、ランナーを背負う場面ばかり。1死満塁からよく投げていました。そこで抑えれば、そのままイニングをまたいで投げる感じです。ピンチに慣れていたので、その経験があとあとになって、生きたのかもしれません」

川崎総合科学で背番号1に

 高校ではエースとして投げたかった。当初は自宅から近い公立の大師高校に進むつもりだったが、地域で名の知れた投手の大竹倖太郎が進学するという情報を耳に入れ、同じ市立の川崎総合科学高校を選んだ。

 自転車で30分かけて通学し、努力を重ねた末に背番号1を手にしたのは2年生の秋である。全国のエリートたちが夏の甲子園でスポットライトを浴びるさなか、小宮は新シーズンをスタートさせていた。先発マウンドを任された秋季大会は地区予選で3連敗。県大会にも出場できなかったが、西武の育成4位に指名される川和高校の濱岡蒼太と投げ合った8月17日のマウンドは思い出深いという。

【次ページ】 プロ注目投手と投げ合った夏

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