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「私、引っ張ります」「えっ、いいの?」世界陸上前夜に山本有真が田中希実にかけた言葉のワケ「自己犠牲で買って出たわけじゃないんです」
text by

佐藤俊Shun Sato
photograph byKiichi Matsumoto
posted2025/11/13 06:03
東京世界陸上、女子5000m予選の前夜、田中希実と同組で走るとわかった山本有真が田中にかけた言葉とは? 本人が真意を明かした
決して自己犠牲とかではない
「レース後、周囲の人から『誰かのために走るのってすごいね』と言われたんですけど、決して自己犠牲とかではないんです。最初は、世陸でペーサーみたいなことをしたら、ちゃんと自分のために走れよってSNSとかで叩かれるのかなと思ったりもしました。
でも、スローペースになると自己ベストが出ないですし、そうなったら誰かが先頭に立って引っ張らないといけない。私は、自己ベストを出したかったですし、パリ五輪で前に出て走った経験があります。田中さんのために私はどうなってもいいというのではなく、自分のためでもあったんです」
田中と話をした後、山本は監督に連絡した。「自分で掴み取った代表だから、自分のためにも走るんだぞ」と言われたが、快く了承してもらった。最終的にふたりはタッグを組んで5000mに臨むことになった。
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世界陸上東京大会5000m、予選1組。山本有真と田中希実がトラックに現れた。コールルームでは「よろしくお願いします」と田中と握手し、お互いを高め合った。山本は、ブダペスト大会やパリ五輪とは異なる空気を感じていた。
日本語の声援が聞こえてきて
「会場に入る前は、かなり緊張しました。引っ張ることも、自己ベストを出すことにも、すごく自信があったわけではないですし、もしかしたら6周半、もたずにタレてしまうかもしれない。
不安がすごく大きかったんですけど、会場に入ったら、海外の世界大会では絶対に聞こえてこない日本語で『がんばって!!』とか『有真!!』とか、たくさん声をかけてもらって、笑顔で手を振ってもらったんです。それを見た時、感動して、なんか涙が出てきそうになって……。この人たちの応援に応えたいと思ったんです」
応援が支えになったとはいえ、山本の緊張は、想像して余りある。
東京で世界陸上の舞台に立つのだから、自分の走りを考えるだけでも緊張するだろう。だが山本の場合、それだけではなく、メダルを目指す田中の後押しもするのだ。失敗できないというプレッシャーは、「誰かのために」という美談で語れるものなどではなく、生死を賭けるような、極めて厳しいものだったに違いない。
山本は、二人分の緊張とミッションを抱えて、スタートラインに立った。
〈全3回の2回目/3回目につづく〉

