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「お尻を触られ、パンティーを替えた」“全女の聖子ちゃん”と呼ばれたアイドルレスラーが明かす水着問題…“3禁”を破った立野記代に経営陣が放った大胆発言
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)東京スポーツ新聞社、R)Takuya Sugiyama
posted2025/11/06 11:00
全女時代は「女子プロ界の聖子ちゃん」と呼ばれた元プロレスラーの立野記代さん
「払えないならなにをするか、わかってんのか?」
――立野さんのときは、どういうフォーメーションだったんですか。
立野 高司社長(当時)が「おまえ、なにやってんだよー」って切りだして、「試合に行けない」って言う子どもの相手をしてくれて。「もうプロレスをやりたくないんで、やめます」って言ったら、俊マネが怒って、「おまえにいくらかけたと思ってるんだ! 耳をそろえて1000万円を1時間後に持ってこい。それでも少ないぐらいだ! そんなお金を払えんのか?」って。「払えない」「払えないならなにをするか、わかってんのか?」「プロレスですか?」「そうだ」「もうできないって言いましたよね」「大丈夫だ。体は覚えているから。リングに上がれば、試合はできる」っていうやり取り。「じゃあ、プロレスやるしかないな」となったら、社長が「(優しい口調で)じゃあ、会場に行くか。車に乗せてくぞ」と。私としては、1000万円なんか払えないからプロレスやらなきゃ、みたいな。
――鉄壁の布陣ですね(笑)。タッグパートナーの五紀さんはその間、どういうリアクションで?
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立野 仲悪くて、ほとんど口を利いてなかったから。
――デビューシングル「(CHANCE)3」をすでにリリースしていたにもかかわらず?
立野 そう。毎日のようにタッグを組んで試合はしてたけど、会話はなかったんで。試合の前に「今日よろしくね」、終わったら「お疲れさま」ぐらいの言葉しか交わしてなかった。全部自分が悪いんだけど、五紀のことをね、思いやる気持ちがなかったの。自分の気持ちだけで突っ走ってたんで。アメリカ遠征をしてからだね、2日間寝ずに“反省会”をやって話をしたのは。「あのとき、私はこう思ってた」とか「私だってこうしたかった」「ここではもう2人しかいないんだから、がんばるしかないんだよ。お土産、持って帰るからね」って言われて、そっから大親友になれた。そこからずっと、いまも仲がいいよ。
(撮影=杉山拓也)

