格闘技PRESSBACK NUMBER

「お尻を触られ、パンティーを替えた」“全女の聖子ちゃん”と呼ばれたアイドルレスラーが明かす水着問題…“3禁”を破った立野記代に経営陣が放った大胆発言

posted2025/11/06 11:00

 
「お尻を触られ、パンティーを替えた」“全女の聖子ちゃん”と呼ばれたアイドルレスラーが明かす水着問題…“3禁”を破った立野記代に経営陣が放った大胆発言<Number Web> photograph by L)東京スポーツ新聞社、R)Takuya Sugiyama

全女時代は「女子プロ界の聖子ちゃん」と呼ばれた元プロレスラーの立野記代さん

text by

伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

PROFILE

photograph by

L)東京スポーツ新聞社、R)Takuya Sugiyama

「女子プロ界の聖子ちゃん」と呼ばれ、全日本女子プロレスのアイドルレスラーとして活躍した立野記代さん(59歳)。水着問題、“3禁”を破った日、そして盟友・ハーレー斉藤さんの死……激動のプロレス人生と引退後の今について聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の初回/第2回第3回に続く》

◆◆◆

中学校を卒業後に全日本女子プロレス興業(通称・全女)に入団し、1981年にデビューすると、男性から好まれる容貌と粘り強い押さえ込みで、人気選手の仲間入りをはたした立野記代さん。1986年に、同期の山崎五紀さんとJBエンジェルスを結成。日本人女子プロレスラーとして初めて、米国WWF(現、WWE)で大成した。新人時代、つけられたニックネームは、「女子プロ界の(松田)聖子ちゃん」。本人の意思が介在しない間につけられていたようで……。

“聖子ちゃん”に客席から伸びてきた手

立野 気づいたら言われてた、みたいな感じです。テレビを観て、初めて知ったんだから。実況席の志生野(温夫)さんが言ってて、「えっ、私のこと? 私が聖子ちゃん?」みたいな。

ADVERTISEMENT

――その確認は、全女にしましたか。

立野 いや、別に。そのまま流しちゃったと思う。選手がなにかを要望しても受け入れてはもらえない、絶対的な権限が全女にはあったので。「おまえは聖子ちゃんだぞ」と言われたこともないし、あのころは日々忙しすぎたんで、言われたとしても構ってる暇がなかったと思う。

――昭和時代に活躍した元選手に話を聞くと、決まって「花道で男性ファンからさわられた」と言うんですね。“聖子ちゃん”は、その格好のターゲットだったのではないかと思いますが。

立野 ミミ(萩原)さんがいるころはたしかに、手が伸びてくるっていうのはあったね。お尻をさわられたり、胸をさわられたりっていうのは、花道とか場外乱闘のときで、見たときにはもう(該当するファンが)いない、みたいな。だけど、パンティーラインを替えたら、さわられなくなりました。パンティーからおへそまで隠れるデカパンに替えたら、ね。

――ジャージをはいているから、インナーがパンティーだろうがデカパンだろうが、わかりませんよね。

立野 パンティーラインは見えるじゃないですか。

【次ページ】 「乳首が出なかったら許そう、みたいな」

1 2 3 4 NEXT
#立野記代
#山崎五紀
#全日本女子プロレス
#JBエンジェルス
#ハーレー斉藤

プロレスの前後の記事

ページトップ