ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
体重マイナス30キロ「もうあの食事はできない…」“野人”と呼ばれた中西学58歳が明かす、引退後のリアルな現在「それでも生きていかなあかん」
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byL)Keiji Ishikawa、R)AFLO
posted2025/10/17 11:00
2020年に引退した元プロレスラー・中西学の現在の生活とは?
中西 あのときはジャーマンで首から突っ込んじゃって、それで頚椎を損傷したんですね。ケガの原因はタイミングとかもあるので一概には言えませんけど、あの時はハッキリ言うて、僕も練習不足でした。首のケアをきちんとできてなかったんで、「いつかやるやろうな」という心配はあったんですけど、それを怠ったのが原因ですね。
――現役生活が長くなることでダメージの蓄積もあったんでしょうね。
中西 いや、僕が首のケアをやってなかったのが原因です。悪くなっていたのはたしかですけど、自分が放っておいたわけですから。言い訳は何もなく、全部自分のせいなんです。それでケガで欠場したあとも、焦って無理な治療をしたらそれが悪い方に向かって、欠場が長びいちゃったんで。会社にも迷惑をかけたし。
「新日本の闘いに戻るのは、簡単じゃなかった」
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――2011年6月にあれだけの大ケガを負ったあと、8月の「G1クライマックス」に間に合わせようとして悪化したというのは本当なんですか?
中西 そうなんですよ。いやー、今考えるとひどい。そんなの無理ですよね?(笑)。
――僕は医療には詳しくないですけど、2カ月ではさすがにちょっと無謀でしたかね(笑)。
中西 自分もいい加減な男ですから。復帰できたとしても、また首から落ちてダメージを負う可能性のほうが大きいんですけど。なんの根拠もないまま「俺は復帰するから」とはずっと言ってたんで。だから根拠はないけど自分を信じていたら、なんとか復帰できたんですけど。
でも、本当に大事なのはそこからなんですよね。身体が動かないことを誤魔化しながらやってましたけど、新日本の闘いの中に戻るっていうのは、そんな簡単なものじゃなかったです。
――ケガをする前の動きに戻せないジレンマがあったわけですね。
中西 そうですね。またケガをする怖さもあったから受身も中途半端でしょっぱくなってたんで、「受身ができひんかったらレスラーちゃうわ」って思ってましたし。
