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体重マイナス30キロ「もうあの食事はできない…」“野人”と呼ばれた中西学58歳が明かす、引退後のリアルな現在「それでも生きていかなあかん」 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byL)Keiji Ishikawa、R)AFLO

posted2025/10/17 11:00

体重マイナス30キロ「もうあの食事はできない…」“野人”と呼ばれた中西学58歳が明かす、引退後のリアルな現在「それでも生きていかなあかん」<Number Web> photograph by L)Keiji Ishikawa、R)AFLO

2020年に引退した元プロレスラー・中西学の現在の生活とは?

「もうああいう食事はできない…」

――中西さんの巡業中のホテル朝食ビュッフェを食べる量は「モンスターモーニング」と称してSNSにアップしていたので有名ですけど、あれは身体作りに欠かせないものだったわけですね(笑)。

中西 まあ、あれもよう食べてるように見せかけてましたけどね。

――そうなんですか!?(笑)。

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中西 あれもサラダとフルーツや飲み物が多かっただけで、普通の人よりは食べてますけど実際はそうでもないんですよ。

――毎回テーブルに並べきれないほどびっしりお皿が並んでましたけど、見た目ほどじゃない、と(笑)。では、引退されてから自然に体重が落ちていった感じですか?

中西 自然にというか、もうああいう食事はできないですからね。巡業に出ると年に2、3回は同じホテルに泊まったりすることもあったんですけど、毎日あれだけ食われたら向こうもたまらんでしょうしね。

――昔はホテルの人からの視線が痛かったりもしたんですか?

中西 まあ、それは毎回痛かったですけど。「こういうお客さんもいるんだな……」って思ってもらえたらなと。こっちも食べないと身体がもたないですからね。

――逆に言うと、現役時代のあの肉体を維持するためには、あれぐらいの食事の量が必要だったということですね。

中西 必要でしたね。巡業中も会場に着いたらまずは練習で汗をかきますから、それで栄養をすべて使ってしまったら試合ができひんわけで。それも踏まえて、夜の試合までパワーが残るように食べてたんで。

――現役晩年はすでに50代でしたけど、それでもあの120キロの身体を維持しようとされていたわけですか?

中西 そうなんですけど、ケガもあってなかなか思うような練習も試合もできなかったので。それも難しくなっていきましたよね。

レスラー人生を左右する大ケガ

 中西は2011年6月に行われたタッグマッチの試合中、対戦相手が放ったジャーマンスープレックスを受けた際、首からマットに突き刺さり、リング上で動けなくなり病院へ搬送された。

 検査の結果、「中心性脊髄損傷」と診断され長期欠場。一時は「良くて車いす、最悪寝たきり」と言われる重傷だったが、必死のリハビリの甲斐あって、1年4カ月後の2012年10月に奇跡のカムバック。しかし、負傷前のような第一線に戻ることはついに叶わなかった。

――2011年6月にレスラー人生を左右する大ケガをされましたが、どんな状況だったんですか?

【次ページ】 「新日本の闘いに戻るのは、簡単じゃなかった」

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