格闘技PRESSBACK NUMBER
「すげえいい人だな…」“KIDに勝った男”金原正徳42歳が明かす不思議な縁「もし今、KIDさんがいたら」UFC出場、RIZINで再起…“戦い続けた格闘家”の告白
text by

長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2025/10/05 11:11
2009年大晦日の『Dynamite!!』で山本“KID”徳郁に勝利した金原正徳。だがその後、日本の格闘技界は「冬の時代」に突入する
「KIDさんに負ける気はしなかった」自信の理由
じつはこの試合のオファーを、金原は2度ほど断っていたという。
「ビビアーノ・フェルナンデス(当時のDREAMフェザー級王者)とやりたかったんですよ。俺は戦極のフェザー級のチャンピオンなのに、なんでチャンピオンじゃない選手とやらなきゃいけないの、って」
加えて、金原はKIDを倒すのは自分ではなく、DREAMで対戦をアピールしていた所英男であるべきだという思いが強かった。所とはZSTのときからの僚友で、“ニコイチ”という表現をするほど強い絆で結ばれている。だからこそ、KIDの首を狩るという手柄を横取りするようなことはしたくなかった。
ADVERTISEMENT
「僕は有名になりたい気持ちもそれほどなかったですし、KIDさんとやったら注目されると思ったこともなかった。ただただ、強いやつと試合がしたかった」
最終的には主催者側の熱意とファイトマネーの上乗せもあり、対戦を受諾した。先述したように、下馬評ではKIDが有利とされていた試合だった。だが金原は当時を振り返って、こう断言した。
「負ける気はしなかったですね。もちろんKIDさんがすごく強いこともわかっていましたし、憧れの人でもありました。でも、僕が戦極で戦ってきたメンバーの方が絶対に強い。そんな連中と戦って勝ち残っていたから、自分を疑うことは 1ミリもなかったです。相手がKIDさんだからとか、そういうことは一瞬たりとも考えなかった。自信の塊でした」
UFCを目指して怒涛の連勝も「チャンスは来なかった」
金原は次なる目標をUFCに定めた。2011年ごろからグレッグ・ジャクソンのジムを度々訪れ、長いときは3カ月に渡り練習をしていた。ニューメキシコにあるジャクソンズMMAはジョン・ジョーンズ、カーロス・コンディットといったUFC王者が在籍する名門中の名門ジムだ。ここでのトレーニングで、金原は手応えを感じたという。
「UFCで活躍している選手が沢山いました。その中で練習しても、『俺もう行けるな』って感触があったんですよ。正直、当時の目標はUFC一択でした」
言うまでもなくUFCはMMAの頂点であり、世界中のトップ選手が集う団体である。並のファイターでは契約を勝ち取ることさえも叶わない。金原に突きつけられた暗黙の条件は、鮮やかなフィニッシュで連勝を続けること。UFCデビューを目指した金原は2011年から13年にかけて6連続で一本勝ちを収めたが、声がかかることはなかった。


