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剛球始球式で「阪神・藤川球児監督もビックリ」“海上保安庁長官”61歳が語る驚きの高校球児時代「工藤公康さん相手にあと一歩まで…」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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posted2025/09/25 11:03

剛球始球式で「阪神・藤川球児監督もビックリ」“海上保安庁長官”61歳が語る驚きの高校球児時代「工藤公康さん相手にあと一歩まで…」<Number Web> photograph by Japan Coast Guard

7月21日のプロ野球巨人対阪神戦の始球式で見事なフォームから速球を投げ込んだ瀬口良夫海上保安庁長官。高校時代の思い出と現在の職掌のつながりとは?(写真:海上保安庁提供)

「私なりのこだわりがありましてね。この歳になった今でも、せめて小さな子供やご老人が溺れていたら助けられるだけの泳力はつけていたいなと思っているんです。だから泳ぐことは欠かさないです。最近は、サボりがちですけどね」

 なるほどあの剛速球に、合点がいった。

刈谷高校でエースナンバーをつけていた高校球児時代

 瀬口長官は、1964(昭和39)年に愛知県刈谷市で生まれた。ときは王貞治-長嶋茂雄の「ON」全盛期。少年時代の娯楽は当然のように野球だった。「ON」はもちろん憧れの存在だったが、瀬口少年が心惹かれたのは当時阪神のエースだった江夏豊だという。

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「親父は中日ファンでしたけれど、私はどちらかというと特定の球団というより選手に魅力を感じていました。白黒テレビの中で見ていた江夏が投げる姿は本当にカッコ良かった。球が速くて、王長嶋の巨人に立ち向かっていく姿が好きでしたね」

 少年時代から投手を務め、地元の中学から進んだ愛知県立刈谷高校では3年時にエースナンバーを背負った。

「県立高校ですから選手を集めている高校ではないのですが、たまたまその年には中学時代にそれなりに活躍した選手が揃っていました。ただ、地区大会で優勝したりとかそういうレベルではなかったですね」

同世代に工藤公康、槙原寛己らが揃っていた

 当時、愛知県の高校野球界には、プロ注目のスーパーエースが揃っていた。名古屋電気高(現・愛工大名電)の工藤公康(西武など)、大府高の槙原寛己(巨人)、愛知高の浜田一夫(中日)。「愛知三羽烏」として名を馳せた3人の投手は、いずれも高卒でプロ入りしている。

「凄いピッチャーでしたね。練習試合で対戦したこともありましたが、槙原さんは体が大きくてとにかく球が速かった。工藤さんは、ピッチング練習を見ただけで度肝を抜かれました。地面から浮き上がってくるようで、あんな球は見たこともなかった。カーブの落差もすごくて、バッターボックスに立ちましたが、全く手が出なかったです」

 3年夏。その工藤公康と交錯するドラマが待っていた。刈谷高は、瀬口長官と左腕の伊藤洋さんの左右二枚看板で、愛知大会を勝ち抜いていく。瀬戸高との準々決勝では、先発した瀬口長官が9回被安打2の好投で完封勝利。準決勝で、工藤を擁する名古屋電気と対戦することになった。

【次ページ】 工藤相手にリードして「瀬口、行くか?」

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