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「東大でボクシング始めました」理科一類に現役合格、進学校のテニス部だった秀才はなぜリングに? 23年ぶりの優勝「東大理系ボクサー“衝撃KO”の真相」
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杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byNanae Suzuki
posted2025/09/18 11:02
東大ボクシング部で主将を務める伊藤朝樹(2年)。大学で競技を始めたにもかかわらず、関東大学3部リーグの優勝を果たした
「年齢的にもちょうどいいタイミングでした。一念発起して、恥ずかしながら本気でバイクのレーサーになってやるぞ、と思いまして。入学祝いでホンダのCBR(250cc)を購入し、桶川サーキットに通い始めました。人生のどこかでチャレンジしたかったんです。実は昔からバイクがすごく好きで……」
小学4、5年生の頃に親の影響で鈴鹿8時間耐久ロードレースを見て、すっかり虜になった。テレビの前から8時間、動かなかったくらいだ。それ以来、成田の実家でロードレースばかり見ていた。ある日、優しい母親はぽつりとささやいたという。
「トモくん、勉強して良い仕事に就けば、バイクをつくる人になれるんじゃない」
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巧みな誘導だったのかもしれないが、これもまた親心。伊藤少年は素直だった。この日から一層、勉学に励み、バイクの開発者になることを夢見た。東大の理科一類を目指したのも機械工学を学び、本田技研で最速のマシンをつくるためである。ただ、エンジニアを志しつつも、レーサーへの憧れも抱くようになっていた。バイクの『中型免許』は、高校生の16歳で取得。いつか、乗るつもりでいた。
「ロードレースを見ていて、自分でも走れる気がしていたんです。謎に自信があり、やり始めればできるでしょって。実際、休学してサーキットを走るようになったら、すごく楽しかった。ただ、攻めれば、攻めるほど転んで、バイクが壊れてしまうんです。そうなると、修理にお金がかかって……。走り方を教えてくれる人もいませんでしたしね。最後は経済的に立ち行かなくなりました」
復学後はボクシングに専念
ロードレーサーへのチャレンジは1年弱で終了。志半ばでレーシングスーツを脱ぐと、気持ちを切り替えて、大学2年目の秋に復学した。東大で出会ったボクシングを忘れたわけではない。むしろ、サーキットに通っていた休学期間中も練習は継続していた。
城崎昌彦監督をはじめ、コーチ陣、OBから丁寧な指導を受け、基盤づくりに励んだ。バイクレースとは違い、パンチの打ち方、足の動きを一から教えてもらい、日々の練習が血となり肉となることを実感できた。シャドー、サンドバッグの単調な反復練習も英単語を覚えるようなもの。習慣化すれば、苦にならない。頭で学び、体で覚えていくほどボクシングの奥深さを感じた。
「最初の印象とは随分と変わりましたね。すごく緻密なスポーツです」
拳を守るバンテージを巻くのも、すっかり慣れたもの。入部から1年後の2024年4月13日には、ライト級(60kg以下)で初めて公式戦に出場。文京区大会の東海大学戦は、試合の1カ月前から準備した。リングに入ると、1対1の勝負。「自分次第で結果が決まる」と自らに言い聞かせた。最終の3ラウンド目こそ体力が切れて相手にポイントを取られたものの、2ラウンドまでは試合を優勢に進めた。初めての判定を待つ間はハラハラ、ドキドキした。勝者として手を上げられた瞬間は、いまでもよく覚えている。
「『練習してきて良かった』と思いました。まずほっとして、すごく気持ち良かった。ボクシングの勝利って、瞬間的に最高点に達するような喜びがあるんですよ。喜びの大きな山が一気にぐっと来る感じで。テニスでも、勉強でも、味わえなかった感情です」
デビュー戦で勝利の味を覚えた東大理系ボクサーは、ここから想定以上のスピードで成長していく。〈第2回に続く〉





