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「人件費を抜いても年間20億以上かかる」ラグビーリーグワンを悩ます“マネーゲーム”の現状…名門NECの脱退危機で考えるラグビーの「投資的価値」
text by

大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byJIJI PRESS
posted2025/09/03 17:02
2002年度に初めて日本一に輝いたNEC。多くの代表選手をはじめタレント揃いだった名門の凋落はどこではじまったのか
一方で、そんな一般論では語れない要素もありそうだ。
グリーンロケッツは1985年に日本電気ラグビー部として創部。1988年に始まった東日本社会人リーグには初年度から参加。2002年度に日本選手権初優勝を飾り、2003年のトップリーグ発足後はマイクロソフトカップ初代王者となり、2004年度は日本選手権決勝でトヨタ自動車を破り2度目の、2005年度日本選手権では東芝府中と引き分け両者優勝で3度目の優勝を飾った。
リーグワンにはD1からD3まで26チームが参加しているが、グリーンロケッツはうち9つしかない、日本選手権優勝経験を持つチームのひとつだ。
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だがトップリーグからリーグワンへの移行期には成績が低迷。
トップリーグ最後となった2020-2021シーズンはリーグ戦全敗。リーグワンが始まった2022シーズンは相手にコロナ感染が出たことによる2つの不戦勝を得ただけで、実際に戦った試合は13戦全敗。
翌2022-2023年はリーグ戦で3勝をあげたものの入替戦で三重ホンダヒートに連敗してD2に降格。1年でのD1復帰を目指したが叶わず、そのシーズン後から「譲渡・退会」を視野に入れたリーグとの折衝が始まった。
かつては有名選手も多く所属したが…?
チームの現状を憂う声は以前からあった。日本選手権で3度の優勝を飾る栄光の時代、グリーンのジャージーには綺羅星のごとく英雄が並んでいたが、彼らはほとんどチームに残っていない。
初優勝時の主将は、関東学院大を大学選手権初優勝に導き、日本代表でもワールドカップで初めて2大会で主将を務めたNo8箕内拓郎。強固なスクラムを支えたプロップ久冨雄一。さらにヘッドコーチとして率いた高岩映善、秋廣秀一、マネジメントでチーム強化に尽力した細谷直、相澤輝雄ら黄金期を築いた功労者が次々とチームを離れ会社も離れた。
それに続く世代の土佐誠、田村優、小野寺優太らも次々と新天地を求めた。
堅いディフェンス、知性溢れるラインアウトなどのチームカルチャーもいつの間にか薄れていった。今春の退団者リストには、次世代のリーダーと期待されたプロップ山本耕生、身長198cmの大型ロック山極大貴、早大から加入してわずか2年のSO吉村紘の名もあった。
ラグビーが企業スポーツに軸足を置き続ける理由としてよくあげられるのが「企業で戦力になっている」という意見だ。


