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「多かったのは婚姻届です」女子バレーの顔だったスター選手が経験した“大フィーバー”ウラ側…「鉛の靴を履いて登下校」した佐伯美香の強豪校時代
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吉田亜衣Ai Yoshida
photograph byR)NumberWeb
posted2025/09/06 11:01
ユニチカではVリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手などを獲得した佐伯美香さん
佐伯は特段、日本代表に選ばれたいとは思っていなかったが、1993年に初選出された。しかし、1994年には選考から漏れた。それが佐伯の負けず嫌いの引き金を引いてしまったようだ。
「もう一回、日本代表に選ばれたかった。自分にも代表に入れる可能性があるんだったら、がんばりたいと思ったんです」
日本代表で人気急上昇「ファンレターのなかに婚姻届」
第1回Vリーグで準優勝、黒鷲旗優勝の活躍を評価され日本代表に選出された佐伯は、ワールドカップという大舞台に立った。そこで待っていたのは、『人気急上昇』というスターダムだった。
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「不思議な感覚でしたね。自分自身、やっていることは何も変わらないのに。テレビ放映されたことで周囲の状況が一変しました。ファンレターの中に多かったのは婚姻届です。携帯電話が送られてきたこともありました。あと、会場からバス移動のときに窓から隣の車を見たら、車のボンネットに自分の写真がペイントされていて仰天したこともありました(笑)」
第2回Vリーグでユニチカを15年ぶりの優勝に導くと、最高殊勲選手、レシーブ賞、ベスト6を獲得。佐伯はコートに咲く可憐な華として、すっかりバレーボール界の顔となっていた。しかし、その裏側では一歩間違えれば、選手生命が危ぶまれる出来事も起きていた。
「携帯電話は半年くらい何もせずに置いておいたんですけど、基本料金がかかっているんだと気づいて、ある日電源を入れてみたんです。すぐに着信があって、女性の方から電話がかかってきました。おそらく頻繁に電話をかけていたんでしょうね。それ以降、しょっちゅう電話がかかってくるようになって(笑)。さすがに困ってしまい、最終的に『電話機を買い取ります』と伝えた記憶があります。あと過激だなと思ったのは、手紙の中に剃刀が入っていたこと。ポジション争いしていた選手のファンの方からで。その選手がケガをしてしまい、私が代わりにポジションに入るようになったからだと思います」
そのエピソードの数々は、女子バレー人気の凄まじさを象徴するものだった。

