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<甲子園令和の名勝負>大社ー早稲田実「奇策はいかにして生まれたか」早実の名将が語った内野5人シフトの真相「神様から降りてきたんだよ、今やれって」

posted2025/09/03 17:00

 
<甲子園令和の名勝負>大社ー早稲田実「奇策はいかにして生まれたか」早実の名将が語った内野5人シフトの真相「神様から降りてきたんだよ、今やれって」<Number Web> photograph by Asahi Shimbun

2024年夏の甲子園3回戦「大社ー早稲田実」は11回裏のタイブレークで決着する名勝負に。公式戦未出場だった大社の控え捕手が値千金の“神バント”を決めた

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井上幸太

井上幸太Kota Inoue

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Asahi Shimbun

 名門校が土壇場で繰り出した“内野5人シフト”と、地方の公立校が勝利を手繰り寄せた“神バント”。「令和最高の名勝負」を決定づけた2つの奇策はいかにして生まれたのか。知られざるドラマを追った。
 発売中のNumber1126号に掲載の[令和名勝負プレイバック(I)]2024 大社-早稲田実「神が授けた2つの奇策」より内容を一部抜粋してお届けします。

大社・石飛監督の素朴な疑問

「なんで、あのシフトをしたんですか?」

 大社高校野球部監督・石飛(いしとび)文太が約半年のあいだ抱き続けたごく素朴な疑問だった。質問相手は和泉実。2024年夏の甲子園3回戦で対戦した早稲田実業を率いた名将である。試合は延長11回までもつれた末、3-2で大社がサヨナラ勝ちを収め、93年ぶりの8強進出を決めていた。

 勝者が敗者を訪ねること自体に躊躇いがなかったわけではない。季節が移ろい冬となった今、それでも早実のグラウンドに和泉を訪ねた石飛は問いたかったのである。なぜあの時、一か八かの内野5人シフトに打って出たのか、と。島根では強豪と評される大社も、32年ぶりに出場した甲子園では全くのノーマーク。ベンチ入り選手の大半が地元出身の公立校である。それが強豪校を次々と倒していく。いつしか「大社旋風」と呼ばれるようになり、早実戦の勝利で、その風速は最高潮に達していた。わけてもこの一戦は互いが繰り出した“2つの奇策”の成功もあり、すでにして令和最高の名勝負の一つとされている。

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 あの日、大社が同点に追いついた9回裏、なおも1死二、三塁というサヨナラのピンチを早実は背負っていた。ここで和泉は、レフトを投手とサードの間に配置したのである。スクイズを防がんとする策だったが、外野のヒットゾーンは広がる。リスクの高い戦術といえた。

 奇策は成功して初めて称えられるものであり、失敗すれば愚策の烙印を押される。母校である公立高校の野球部を率いて数年、ようやく念願の甲子園出場を果たした石飛にとってはだから不思議だったのだ。東京の名門を率いて全国制覇を成し遂げ、ドラフト1位選手も育てている。そんな高校野球の全てを手に入れたかのように見える名将がなぜ、自分たちのようなチームに対してあんなリスクを冒したのだろうか――。

「向こうの応援団が八百万の神様に見えたよ」

 和泉が奇策を講じる直前である。この日の第4試合は最終盤に差し掛かったかに見えた。下馬評通り、9回裏を2-1の早実リードで迎えていた。

 空に浮かぶ月とカクテル光線が選手たちを照らしている。甲子園経験の豊富な和泉だが、普通の試合とはどこか違うように思えた。特に大社の大応援団の迫力には圧倒されたという。

「向こうの応援団が八百万(やおよろず)の神様に見えたよ。出雲大社から連れてきたんじゃないかっていうくらい」

 そんな“神がかった”応援のせいもあってか、試合は土壇場で急速に展開していく。大社がスクイズを成功させ、同点となってしまったのである。なお1死二、三塁で早実のピンチは続いている。サヨナラ負けという最悪の展開がはっきりと視界に入ってきていた。続く大社の打者は2番である。

【次ページ】 外野2人、内野5人「見たことのない景色が」

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