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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園で躍進した県岐阜商OBが証言「野球部の特別扱いはない」…じつは進学率8割超「“普通の入学”からレギュラーに」公立校が生き残るためのヒント
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/28 11:51
準決勝で日大三に敗れた県岐阜商。決勝進出は叶わなかったが、さわやかに甲子園を去った
全国レベルの部活が多数…「野球部の優遇」はない
2005年卒業の永田英之はこう証言する。
「僕の代は、OBの鍛治舎巧先生(県岐商前監督)が当時オール枚方ボーイズの監督をしていた関係でそこのバッテリーが県岐商に来たんです。でも結局、一般で入った子がキャッチャーをやりました。普通に岐阜や岐阜北といった県トップの進学校に行ける学力を持ちながら、甲子園に行きたいといって県岐商に来る生徒もいます。たとえベンチ入りしてなくても勉強ができる奴がいっぱいいて、そういった意味でも刺激を受けて切磋琢磨できますよね。凄く高いレベルで野球をやってきていますから、大学に行って花開く選手もたくさんいます」
また、決して野球部が優遇されているわけでもないという。
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「昔から陸上部は全国トップレベルで、県の上位を独占するくらい成績が凄いこともあって、野球部が直接甲子園に関係ない春や秋の県大会にいい成績を残しても『なにそれ?』って感じでした。他にも全国レベルの部活が多いため、特出した成績を出さないと目立ちません」
そのうえで、優勝候補の横浜を下して準決勝にまで進んだ後輩たちのチームを素直に称える。
「名門校となると、エラーをすると雰囲気が悪くなるものなんです。でも今回のチームは、正直ミスは多かったですが、萎縮せずにみんな笑顔でプレーしていました。そうすることで悪い雰囲気にならず、流れを相手に渡さなかった。だから勝てたんじゃないかと思います」
県岐商が示した“公立校が生き残るためのヒント”
日本に海がない県は8つあり、そのうちのひとつが岐阜県だ。大昔は海から文化が取り入れられて国が発展し、大掛かりな輸送手段も船しかなかった。よって海がない山間部は発展途上の地域だと見なされていた。
しかし、甲斐の武田信玄が地理的条件の悪い土地にもかかわらず、氾濫する河川に堤防を造ることで畑や町を守り、水源をうまく利用して耕作も増やし繁栄を築いた。その武田信玄を恐れ敬ったのが戦国の革命児・織田信長だ。尾張の生まれでありながら海がなく不利とされる岐阜に居を構え、「楽市・楽座」と呼ばれる経済活性化政策で岐阜の町作りに尽力した。

