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甲子園で躍進した県岐阜商OBが証言「野球部の特別扱いはない」…じつは進学率8割超「“普通の入学”からレギュラーに」公立校が生き残るためのヒント 

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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photograph byHideki Sugiyama

posted2025/08/28 11:51

甲子園で躍進した県岐阜商OBが証言「野球部の特別扱いはない」…じつは進学率8割超「“普通の入学”からレギュラーに」公立校が生き残るためのヒント<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

準決勝で日大三に敗れた県岐阜商。決勝進出は叶わなかったが、さわやかに甲子園を去った

“普通の入学”からレギュラー入り、甲子園出場も

 前出の桑原は、中学時代に県岐商から声をかけられたわけではなく、一般生徒と同じようにただ普通に入学した。もちろん、入学時点の期待値によって部内での序列は異なる。そこから必死の努力を重ねてレギュラーに上り詰め、キャプテンまで務めた。桑原が当時の野球部内での厳しい序列争いについて内幕を明かしてくれた。

「1年生の時は野球部の最下層の“堤防組”に所属していて、グラウンドでの練習ができず、長良川の河川敷で走るだけの日々を送りました。3年生が引退する夏までの約4カ月間、バットやグローブを使用させてもらえるのは数回だけでした。この4カ月間の練習は、超ハードなトレーニングばかりで、100人を超える部員数をいわば“削る”ための練習なんです。グラウンド組と堤防組の間には大きな壁があって、まずはグラウンドで練習できるようになることを目標にします。同期の中でも入学後、いきなりグラウンドで練習させてもらえる奴が数名いました。練習でも会う機会がないので、1年生のときはほとんど口を利いたことがなかったです(笑)」

 堤防組の中でも声をかけられている選手は、あらかじめマネージャーやコーチからもチェックされているため、グラウンド組へと昇格するのはそう難しいことではなかったという。桑原のように普通に入学してきた堤防組は、いかにアピールしてグラウンド組に入っていったのだろうか。

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「1年時の担任が軟式野球部の監督でした。軟式も全国優勝するレベルの強豪校なんです。先生からは『こっちに入れば普通に練習できるぞ』とずっと勧誘されていました。一時ぐらつき、家族会議をやったんですが、そのとき母親から『あなたの人生だからあなたが決めることだけど、なんのために県岐商に入ったのかをもう一度考えてみなさい』と言われ、決意を新たにしました」

 最初はアピールすることを念頭に練習をしていたが、それではダメだと気付いた。これみよがしのアピールは所詮ハリボテに過ぎない。普段の生活から一生懸命やっていないと、勉強も野球も実力は向上していかない。やがて上手くなりたいという強い気持ちが報われる。桑原はキャッチャーでレギュラーを勝ち取り、最後の夏には甲子園に出場。8月15日の終戦記念日の2試合目に試合が組まれ、正午に守備位置で黙祷を捧げた。桑原は異例だとしても、県岐商の良いところは、一般で入ってきた子がベンチ入りメンバーやレギュラーになることも十分に可能なことだ。

【次ページ】 全国レベルの部活が多数…「野球部の優遇」はない

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