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甲子園の風BACK NUMBER
「報道陣に無視された」低評価から甲子園の主役に…“奇跡の公立校”県岐阜商はなぜ勝ち残れた?「中学生の県外流出を防ぐ」「“親子で県岐阜商”も多い」
text by

松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/28 11:50
下馬評を覆し、センバツ優勝の横浜を下して甲子園を沸かせた県岐阜商。OBはじめ関係者の証言から、その秘密を探った
県大会ベスト4の監督全員が「県岐商OB」だったことも
2009年にベスト4に進出したときの監督で、県岐商OBの藤田明宏にも伝統について訊いてみた。ちなみに現監督の藤井潤作は、藤田の監督時代のコーチであり、最も信頼を寄せていたスタッフのひとりだった。
「現役時代、高校2年の秋に、創立80周年記念で桑田真澄と清原和博のいるPL学園との招待試合があって、0対15で桑田君に完封負けを喰らいました。文字通りスター軍団でしたね」
現役時代の話を聞くと、藤田自身がPL学園全盛のいわゆる“KK世代”ゆえに、高校野球ファン垂涎の話が山ほど出てきた。それもこれも、「名門・県岐商ゆえのマッチング」だったのは言うまでもない。
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「強さの秘密として、多くの卒業生が高校野球の指導者になっていることがありますね。私が知る限り20人以上が高校野球の指導者になっています。2005年の夏の県大会準決勝では、4チームの監督が全員県岐商のOBだったこともありました。結果的に土岐商業の工藤昌義監督が甲子園に行くんですけど、県岐商の監督が鍵谷英一郎、今の県高野連専務理事ですね。山県の監督は鹿野浩史(現岐阜各務野監督)、当時岐阜城北の私。じつは鍵谷、鹿野、私の3人とも同学年なんです。背景を考えると、やっぱり県岐商に追いつき追い越せで切磋琢磨した時代があって、その積み重ねに2009年のベスト4があり、16年後の今回のベスト4があるんじゃないかと思っています」
県大会でベスト4の監督全員が同じ高校のOBで、そのうち3人が同期なんてまずありえない。歴史ある県岐商OBの質と量の優位性がここに証明されていると言えるだろう。敵味方に分かれようとも最終的には県全体のレベルが上がり、母校が鍛えられていく。周りの底上げをしないかぎり、代表にはなれても全国では勝ち進んでいけない。藤田は言う。
「高校野球だけでなく、卒業生がいろんなカテゴリーの野球の指導者になっています。岐阜にあるボーイズリーグのいくつかのチームに県岐商OBがいまして、母校愛が特に強いOBはいい選手を優先的に紹介してくださったりしますね」
OBの盤石のネットワークこそが、県岐商の安定した強さの源流だと断言できる。では、彼らの母校愛はどのように育まれていったのだろうか。
<続く>

