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甲子園の風BACK NUMBER
「報道陣に無視された」低評価から甲子園の主役に…“奇跡の公立校”県岐阜商はなぜ勝ち残れた?「中学生の県外流出を防ぐ」「“親子で県岐阜商”も多い」
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/28 11:50
下馬評を覆し、センバツ優勝の横浜を下して甲子園を沸かせた県岐阜商。OBはじめ関係者の証言から、その秘密を探った
これで選手たちが発奮したのかどうかわからないが、県岐商は地道に勝ち続けた。そして準々決勝で春夏連覇を狙う横浜と対戦。多くのファンや識者が横浜の勝利を予想するなか、延長11回、8対7というルーズベルトゲームに勝利したことで、一躍“公立の星”となったのだ。
「中学生の県外流出を防ぐ」岐阜県の取り組み
16年ぶりの甲子園ベスト4、そして横浜との球史に残る死闘を制したことにより、県岐商の名はようやく脚光を浴びた。甲子園出場回数は春30回(優勝3回)、夏31回(優勝1回)。通算61回も甲子園に出場している名門中の名門校なのに、なぜなかなかスポットライトが当たらなかったのだろうか。
ひとえに岐阜という土地柄のせいもある。“岐阜出身あるある”のひとつとして、中部地方以外の人から「どこの出身なの?」と尋ねられたとき、「地味な県だよ。当ててみて」と応じても、まず相手は思い当たらない。悲しいが、「地味な県」という以上に、忘れ去られている県――「岐阜」と言っても、日本のどこの地方に属しているか曖昧だという反応も多い。ピンとくる特徴が少なく、どうやらファジーな県として認知されているようだ。
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そして一番の理由は、なまじ出場数が多いがゆえに目新しさがないことだろう。1980年以降、県岐商は今年も含めて夏の甲子園に18回出場しているが、初戦敗退が12回と早々に去ってしまう印象が強い。
全国では「コロッと負けがち」な県岐商だが、今大会で証明したように、私立全盛の時代にあって強さと名門としてのブランドを保っている点は大いに注目されるべきだ。その源泉は一体、どこにあるのか。岐阜県の野球関係者や、県岐商OBを直撃した。
県下一の進学校・岐阜高校から慶應大学に進学し、三菱重工業三原や慶大の野球部監督を歴任後、現在は朝日大学野球部総監督を務める後藤寿彦は、岐阜県内の野球事情についてこう語る。
「1984年から2000年の間、岐阜代表の高校がセンバツにほとんど出場できなかった時期がありました。それではいかんということで、当時の梶原(拓)知事が私をスポーツ顧問に任命して『力を貸してほしい』と。2003年、知事直轄の高校野球のプロジェクトを立ち上げました。その後、中体連、ボーイズシニアの優秀な中学生に強化指定選手の認定を与え、県外へ流出しないようにして選手の強化に励んだんです。今年の県岐商はベンチ入り20人中、18人が岐阜県出身で、強化指定選手が15人。横浜戦の延長11回に投げた2年生の和田(聖也)君なんかは中体連出身の強化指定選手です」

