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「報道陣に無視された」低評価から甲子園の主役に…“奇跡の公立校”県岐阜商はなぜ勝ち残れた?「中学生の県外流出を防ぐ」「“親子で県岐阜商”も多い」 

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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photograph byHideki Sugiyama

posted2025/08/28 11:50

「報道陣に無視された」低評価から甲子園の主役に…“奇跡の公立校”県岐阜商はなぜ勝ち残れた?「中学生の県外流出を防ぐ」「“親子で県岐阜商”も多い」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

下馬評を覆し、センバツ優勝の横浜を下して甲子園を沸かせた県岐阜商。OBはじめ関係者の証言から、その秘密を探った

 後藤は続ける。

「2007年には岐阜県野球協議会を作りました。小学校から大人までの横断的な組織を構築したのも、地元の子どもたちを強化しようとするのが狙い。県内の野球のレベルに関していえば、地道にやってきたことが徐々に実を結んでいったわけです」

 準々決勝の横浜戦後の県民の盛り上がりは凄まじかったという。県岐商ブランドの復活とともに、「岐阜県の高校野球界にとって大きな転機になってくれれば」と後藤は願っている。

「親子2代、3代で県岐商に」

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 1970年に23歳で県岐商の監督になり、同校監督として11回の甲子園出場を果たした小川信幸にも話を訊いた。県岐商の校長や岐阜県高野連会長も歴任した“大物”だ。

「ひとつの特徴として、県岐商のOBのネットワークが非常に強固だというのがあります。県一番の進学校の岐阜高校さんの場合は卒業されたら他県で活躍される方が多いと思うんです。ただ県岐商の場合は、結果的に地元でいろいろと仕事をやられることが多いですから、卒業しても絆が強く、まとまりやすいのではないかと思います。中途半端な絆でなく、ホンモノの絆で繋がっていますから。今回、4番を打った坂口(路歩)君なんかは親子3代、県岐商です。とにかく親子で県岐商というケースは非常に多いですね」

 県岐商を卒業して県外に進学したとしても、その後、地元に戻ってくるOB・OGも多いという。県内一のネットワークを持つ県岐商ならではの利点は、県内在住であれば山ほどある。苦楽を共にした野球部で3年間過ごした仲間の絆は一生切れることなく、地元に根を張って生活していれば必ず県岐商出身者と繋がってくる。また、親子2代にわたっての在籍が多いというのも示唆的だ。母校にプライドを持って生活をする基盤が県内で1世紀近くも続いているというのは、じつは学校運営においてとてつもないアドバンテージだと言える。

【次ページ】 県大会ベスト4の監督全員が「県岐商OB」だったことも

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