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「あの時、悪かったな」野村克也監督から“8年越しの謝罪”…阪神暗黒期を率いたノムさんの“フォーム改造指令”に、逆指名ドラ1投手が抱えた苦悩
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySankei Shimbun
posted2025/08/30 11:01
阪神の新入団発表会見にて、野村克也監督と握手する藤田太陽(2000年)
ノムさんに言われた「あの時は、悪かったな…」
投球フォームの“改造指令”をきっかけに陥った苦悩から右腕の野球人生は暗転し、後に右肘手術、長いリハビリへとつながっていく。「一番苦しかった」と振り返る阪神でのルーキー時代。全てのきっかけとなったあの“改造指令”には、後日談がある。
それは藤田さんが西武にトレード移籍して迎えた2009年のことだ。新天地でセットアッパーを任され復活を遂げた右腕は、仙台での楽天戦で阪神1年目の恩師である野村監督と再会した。
「お久しぶりです」
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「おう、なんやその長い髪は。とりあえず髪の毛切ってこい」
お決まりのやり取りで“毒ガス”を浴びせた名将は、ふと真顔になって藤田さんに語りかけた。
「その後、肩肘はどうや? 1年目のあの時は、悪かったな……」
指揮官はフォーム改造の指示を出した自らの判断を悔やみ、ポツリと呟いた。
「もう少しフォームを変えずに、見てやるべきだったな」
この言葉を聞いた藤田さんは思わず、胸に込み上げるものがあったという。
「当時は野村監督と直接喋ることなんてなかったですからね。僕の中ではもう忘れていたというか、蓋をしてきたこと。でもその言葉を聞いて何だか凄くスッキリして……。大勢いる選手たちの中の1人が、上手くいかなかったことをちゃんと覚えていてくれたんだ。しかもあの大監督がこんな自分に『悪かったな』という言葉をかけてくれるのかと凄く感動しました。これから自分はどんなことがあっても頑張っていかなければいけないと思った出来事でした」
記憶の中で澱のように溜まっていたわだかまりが、ふっと解けていった瞬間だった。
野村監督は2001年限りで阪神を去り、代わって新指揮官に就任したのが星野仙一。プロ2年目を迎えた藤田さんは、キャンプ早々“ある話題”で写真週刊誌に取り上げられてしまう。〈つづく〉

