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「あの時、悪かったな」野村克也監督から“8年越しの謝罪”…阪神暗黒期を率いたノムさんの“フォーム改造指令”に、逆指名ドラ1投手が抱えた苦悩
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySankei Shimbun
posted2025/08/30 11:01
阪神の新入団発表会見にて、野村克也監督と握手する藤田太陽(2000年)
「それを見たピッチャーの先輩に『新人がいい気なもんやな』みたいな感じで言われたんです。冗談かもしれないけれど、凄く傷ついて……。何をやってもあれこれ言われるし、上手くいかないし、自分を守るためにはどうしたらいいんだろう、って。あの時は、全員が敵だと思っていました。プロ1年目のキャンプの1カ月間は、今まで生きてきた中で一番苦しかった」
それほどの苦悩を置き去りにして、ルーキー右腕のデビュー計画は着々と進んでいった。3月3日、オープン戦の本拠地開幕となる日本ハム戦に初先発し、5回3失点ながら勝利を挙げる。オープン戦では同10日のダイエー(当時)戦で7失点、16日の西武戦では5失点……。投球フォームを本来の二段モーションに戻して臨んだ広島戦とのオープン戦で4回2失点と持ち堪えて開幕一軍入りを勝ち取ったが、右肘が耐えられるのはそこまでだった。
「缶コーヒーも持てない。握力がなくなっていた」
公式戦プロ初登板は3月30日、巨人との開幕戦だった。2番手でリリーフ登板したが、2回1/3を7失点と炎上した。試合後、二軍降格と当面の投球禁止が決まった。納得できないコンディションの中で上がったド派手なお披露目の舞台でのKOは、ルーキーには辛くこたえた。
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「本当はキャンプの時から、肘はもう手術しないとダメだろうと思っていました。それくらいの痛みでした。でも何とか痛み止めを飲んで調整して登板した。試合中はアドレナリンが出て痛みはないけれど、投げたいところに投げられるわけもない。もうバッティングピッチャーみたいな感じで、何をやっているんだろう、と。自分が自分じゃないような感覚でした。
開幕戦の試合後は、右手で缶コーヒーも持てなかった。握力がなくなっていたんです。二軍に落ちてからは調整、と言っても肘のケアだけ。1年目の最初の半年間は、今も記憶が曖昧なんですよ。一番きつかった記憶に自分で蓋をしているのかもしれないですね」
苦しい胸の内を打ち明けられたのは、担当だった佐野仙好スカウトと同期入団の仲間、数少ない先輩投手だけだったという。
「可愛がってもらった藪(恵壹)さんや川尻(哲郎)さんは『何を言われても気にするな』と声をかけてくれました。でもローテ争いのライバルになるような先輩たちは結構冷たかったりして、色々なせめぎ合いもあった。
同い年で寮の部屋が向かいだった井川(慶)には色んな話をしていました。彼は本当にマイペースで、周りのことは全く気にしない。振り返ると、当時の阪神で関東出身のスーパースターって井川と鳥谷(敬)くらいなんですよね。2人ともひたすら我が道をいくタイプ。ああいう選手じゃないと、関西のあの雰囲気の中でやっていくのは大変なのかな、と今では思ったりします」

