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“熱心すぎるファンクラブ”までいた千葉の盟主が20年甲子園から遠ざかり…「あの江川卓に勝利」「篠塚利夫を擁して優勝」した公立校・銚子商高の今 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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posted2025/08/22 11:02

“熱心すぎるファンクラブ”までいた千葉の盟主が20年甲子園から遠ざかり…「あの江川卓に勝利」「篠塚利夫を擁して優勝」した公立校・銚子商高の今<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1974年夏には悲願の甲子園優勝。翌年は同じ千葉の習志野高が優勝した。同都道府県が異なる学校で連続優勝したことは過去4例しかない

ライバル・習志野高に敗れると「土手クラブ」が……

 3年春の千葉大会。ライバル習志野との準々決勝で延長10回、木樽が谷沢健一(中日)に決勝本塁打を浴び、1対0で敗れた試合後のことだ。最終電車で学校へと戻ると、夜中にもかかわらず「土手クラブ」の面々が鬼の形相で待ち構えていた。

「『お前らは何をやっているんだ!』と怒られて、こちらも『すみません』と謝りました。それで次の日から猛練習です。負ければ石が飛んできたこともあります」

 その後、斉藤一之監督が習志野対策として大学生投手を呼び寄せて打撃練習を重ね、夏の千葉代表決定戦で5対0とリベンジ。東関東大会も制し、2年ぶり4度目の甲子園出場を果たすと、京都商、帯広三条(北北海道)、丸子実(長野)、高鍋(宮崎)を撃破。決勝の相手は、のちに東海大相模で長男・辰徳との「親子鷹」でも名を馳せることになる原貢監督が率いる、初出場の三池工(福岡)だった。

オープンカーに乗って銚子までパレード

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「銚子商は当時、甲子園で負けると1泊2日で京都観光ができたのですが、決勝の翌日は千葉でパレードがあるというので、それが叶いませんでした。三池工は大したことないから絶対に勝つ、優勝だってみんな言っていましたね」

 試合は三池工先発の上田卓三(南海、阪神)に3安打と抑え込まれ、0対2で準優勝に終わった。しかし県勢初の快挙を誰もが喜んだ。

「次の日の朝、東京駅でユニホームに着替えて、そこから電車で千葉県庁まで行きました。知事に準優勝の報告をした後、用意してあったオープンカーに乗って銚子までパレードです。凄い人でしたね」

 約100キロの道程も終わりに近づき、懐かしい潮の香りが鼻をかすめてきた時、数え切れないほどの大漁旗が出迎えてくれた。銚子商は、銚子市民、そして千葉県人の誇りだった。

 その秋に行われた岐阜国体では、準決勝で三池工に5対0で勝利すると、決勝で地元の岐阜短大付を4対1で破り、県勢初優勝を成し遂げた。習志野の心中は決して穏やかではなかっただろう。

【次ページ】 2年連続で千葉県勢が甲子園制覇

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