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甲子園の風BACK NUMBER
「街は過疎化」「ファンも落ち込んでしまって」甲子園に20年行けていない“黒潮打線”銚子商高はそれでも「私学とは違うやり方で甲子園目指す」
posted2025/08/22 11:03
1974年の銚子商高全国制覇の記念碑と、OBの澤田洋一・現監督。公立校の現状は厳しいが、名門復活への意気込みを語った
text by

内田勝治Katsuharu Uchida
photograph by
Katsuharu Uchida
野球王国の千葉県で県内最多20回(春8、夏12)の甲子園出場を誇る銚子商は、1960年代から70年代にかけて「黒潮打線」を武器に黄金期を築いてきた。1965年夏に準優勝、そして1974年夏には悲願の全国制覇を達成。「CHOSHO」のユニホームは、千葉のみならず、全国から羨望の眼差しで見つめられた。
ライバル・習志野に完敗
しかし、その古豪が苦しんでいる。甲子園に出場したのは2005年夏が最後。今夏の千葉大会は3回戦でライバルの習志野高に0対6で涙を飲んだ。
2017年から監督を務める44歳OBの澤田洋一が、伝統の一戦を振り返る。
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「選手たちに聞くと、習志野さんとの試合は他と違うと感じるようです。戦える準備はできていたし、いいチームになってきたので手応えは感じていました。取り組んできたことが、スタートから悪い方に出てしまいました。決して気力で負けた訳ではありませんし、我々指導者がもっと教えていかなければいけない部分があるんだなと反省しています」
甲子園出場を知らない部員たち
今の部員たちは、20年前の甲子園出場よりも後に生まれた世代。もちろん、数え切れないほどの大漁旗がはためいた銚子パレードの熱狂ぶりも、試合のたびに人っ子一人いなくなった街の静けさも、昔話として伝え聞くのみだ。昭和の時代、ごく身近にあった甲子園は、手を伸ばしても簡単に届かない代物となってしまった。
「正直選手たちが変わってきたのではなく、我々指導者が銚子商の強かった時の伝統、1球に対する思い、甲子園に出るという覚悟、目標をしっかり教え込めていないというのが敗因なのではないかと思っています」

