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「釜本を育てる…それがサッカー界の総意となったわけや」釜本邦茂は何がスゴかったのか? ライオンに憧れた少年にあった“もうひとつの才能” 

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藤島大

藤島大Dai Fujishima

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photograph byShinichi Yamada/AFLO

posted2025/08/13 11:01

「釜本を育てる…それがサッカー界の総意となったわけや」釜本邦茂は何がスゴかったのか? ライオンに憧れた少年にあった“もうひとつの才能”<Number Web> photograph by Shinichi Yamada/AFLO

早稲田大学時代の釜本邦茂(1965年)。2025年8月10日、81年の生涯に幕を閉じた

 怒りや苛立ちには理由があった。「あいつは自分のゴールへいたる絵をいつでも描けている」(元サッカー日本代表MF・二村昭雄(にむらてるお))。到達点から逆算して、撒き餌を仕掛けたり、出たり入ったり、ふいに消えてみせたりするのである。それなのに同僚の無理解で背中へ石を投げられてはたまらない。つい言葉は荒くなる。

 だから、たとえば、現代表FW陣についてつぶやいてしまう。

「みな紳士やわ。おとなしい。なんか黙々とやっとるような感じでね。僕は我が強かったからね。でも要求して、その通りにパスを出してきよる。そしたら決めなきゃあかん。ここが信頼感やもの」

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 才能は確かだ。身長1m79cm、体重75kg。現役時の公称である。当時の国内サッカー界では、はっきりと巨漢だ。しかも「本当の身長は181cm」。なぜ低く発表を。「あんまり大きくてドン臭いと思われたくなかった」。そんな時代だったのである。

「野球を選んでいたら900本は打った」

 もちろん釜本邦茂は少しも鈍くなかった。

「あのころの日本人で、大きくて巧い、大きくて速いというのは珍しい。なんとか大事に育てなくては。サッカー界の総意となったわけや」(ジャーナリスト・賀川浩)

 小学校の三角ベースでは永遠の本塁打王だった。「ホームランが出たらノーアウトへ戻る」変則ルールゆえ、釜本組の守備はほとんどなかった。野球を選んでいたなら、おそらく億万長者のリストにも名を通ねたろう。

「ま、王さんを抜いて、ホームラン900本は打ったでしょう」

 たぶんジョーク。

 ヘディングの威力、壁の先輩を震えさせたシュート力、実は柔らかい球さばき、さらにもうひとつの才能を忘れてはならない。

 知性である。考え抜く力と習慣が、大器を巨人へと押し上げた。

 スポーツにおける「頭の良さ」とは、試合や練習の現場での読みや集中力、それに選手生活を送る際の節制や心構えに表現される。

 いつ、どこで、どのように球を受けるか。敵味方隔てずに発せられる怒声の裏で、コンピュータは電線が焦げるほど稼動していた。

 まさに図抜けた素質を与えられ、なお妥協せず、絶対の型を追う長い旅をやめようとはしなかった。グラム単位で「季節ごとの自分のベストの体重」をつかまえ、鉄の意志で心身の状態を整えた。

「考えてへんのいっぱいおるから」

 昨今の後進を批評して、老いた名士の焦燥にちっとも聞こえないのは、考えるライオンのどうしようもない実感だからだ。

【次ページ】 釜本邦茂は「時代の産物」だったのか

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