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「将来、楽しみかもわからんね」20年前、釜本邦茂が名指しで褒めた“ある選手”とは?“天才少年カマモト”が史上最高のストライカーになれた理由
posted2025/08/13 11:02
1994年、ガンバ大阪を率いたころの釜本邦茂(当時50歳)
text by

藤島大Dai Fujishima
photograph by
J.LEAGUE
日本サッカー界に偉大な功績を残した釜本邦茂。いまも“史上最高のストライカー”と称される所以はどこにあるのか。その源流を知る人物が証言した20年前のノンフィクションを特別に無料公開する。《初出:2004年3月4日発売、Sports Graphic Number597号/釜本邦茂「考えるライオン」はどうして育ったか》【全3回の最終回/第1回から続く】
点を獲ることがお前の仕事だ
止めて蹴る。釜本邦茂は、この基本を突き詰めた。止める。蹴る。活字にすれば簡単だ。だが、本当に、止めて蹴られたなら、すでにして一流なのである。
本人の述懐。
「高等学校で、お前の役目は点を獲ることだと教えてもらった。それが仕事なのだと。じゃあ、そのために何が必要なのか。ボールを止めて蹴ることです。いまの代表、みなパスが弱い。大事にしよう思うからや。でもピシャッと止められたら、もっとパーンと蹴ってもええんやから」
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京都府立山城高校は自由な校風の進学校だった。1960年の春、のちのストライカーは入学を果たし、サッカー部コーチ、森貞男の薫陶を受ける。
膝から下を鋭く振り抜くパスの名手、先輩の二村昭雄は言う。
「結局、森先生に、止めて蹴ることを徹底的に指導された。それが、のちのち、効いてくるわけです。ほんま、あいつ、どんなボールでもピュッと止めよるからね」
あれから44年、京都に暮らす恩師は明かした。「公立校は選手の能力にばらつきがあるので、仕方なく基本を重視した。パス練習では、途中、私が教員クラブで試合をしてから戻ると、まだ続けていたこともある」

