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「釜本を育てる…それがサッカー界の総意となったわけや」釜本邦茂は何がスゴかったのか? ライオンに憧れた少年にあった“もうひとつの才能”
text by

藤島大Dai Fujishima
photograph byShinichi Yamada/AFLO
posted2025/08/13 11:01
早稲田大学時代の釜本邦茂(1965年)。2025年8月10日、81年の生涯に幕を閉じた
気質、肉体、知力、そして環境。
次の1行は、とりあえずの仮説である。
釜本邦茂は時代=環境の産物だった。
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「スルメ、だしに使うやつ。あれをちぎって食べて、おやつはそれだけ。ストーブで炙ると、ええ味するんだよな」
あれほど頑健な体はどこからもたらされたのか。そんな問いから「スルメ講釈」は始まった。こういうことだ。ケーキもない。饅頭もなかった。腹がすくとスルメを噛んだ。ジャコなど小魚もごちそうだった。おかげで骨が丈夫になった気がしてならない。
「いま食生活が進んでいる。進歩とは言わない。進んできた。数値の体格は増した。でも骨組みの頑丈な選手は見当たらない」
釜本が突き詰めた“止めて蹴る”
いたずらな懐旧趣味は退けたい。京都太秦の庶民の暮らしが、そのまま格別なストライカーを育てたのでもあるまい。
ただ、40歳の引退より20年、現時点まで確たる後継は見つからない。ならば、いくぶんかは時代も関係しているのではないか。
「違うと思いますね。あのころだって平凡なストライカーはたくさんいたわけだから」
浦和レッズGM、森孝慈はひとまずは否定した。早稲田、日本代表と同じ釜の飯を食った仲、頭脳派MFとして前線の大黒柱へ得点のきっかけを供給してきた。
「ただし、こうは言えるかもしれない。いまは選手が同じ練習をする割合が多過ぎて、組織を構成する個人が強くなりにくい」
以下、解説。
釜本は、自分で自分の技術をとことん追求した。より強く。より正確に。トラップ、シュート、ヘディングそのものを磨き上げて型をこしらえていく。「前の試合で失敗したのとまったく同じ状況をつくって、ひとり残っては、なんべんも練習していた。たぶんジーコだってFKをそうして覚えたはず」。しかし、最近は指導者の与えた戦術に基づいたパターン習得が主体で、個別の技術を突き詰める風潮は薄い。
森は言う。
「たとえばマークを外す動き。そんなこと当たり前じゃないかと思っても、もっと自分の頭で突き詰めなくては。いまはコーチがパターンとして教えるから、その分、考えないのかなという気もしますけど」
止めて蹴る。釜本邦茂は、この基本を突き詰めた。止める。蹴る。活字にすれば簡単だ。だが、本当に、止めて蹴られたなら、すでにして一流なのである。
〈第3回に続く〉

