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「砲丸を投げこむイメージで」“平成屈指の豪腕”石井一久が明かすストレートの威力が増した2度の転機「速球というより、豪球になった」
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生島淳Jun Ikushima
photograph byKoji Asakura
posted2025/08/22 17:02
NPBではヤクルトに12年、西武に6年在籍し通算143勝。メジャーではドジャースに3年、メッツに1年で通算39勝を挙げた石井一久
リハビリで2度目の転機
「高校時代に、速い球を投げるのに必要なことは、投げ込みだけじゃないことは理解できました。ただ、下半身の強化がなぜ速い球を投げることにつながるのか、分かっていませんでした。その理解が進んだのは、肩の手術をした後に'97年、クリーブランド・インディアンスの施設でリハビリをした時です。これが2度目の転機でした」
石井は'95年に13勝を挙げたが、153回を投げて奪三振は159個と打者を圧倒しているわけではなかった。その年のオフには左肩の手術を受け、好転しなかったことから'96年にも再度手術に踏み切ったが、石井は'97年の春のキャンプ、そしてシーズン途中にもインディアンスの施設でリハビリを行った。当時、スワローズが提携関係を結んでいたからだ。
「'90年代のインディアンスは、いい時代を迎えていました。打者ではジム・トーミ、ケニー・ロフトン、それにマニー・ラミレスもまだチームにいました。アメリカで取り組んだメニューのひとつが、当時、日本ではまだ体系化されていなかったウェイトトレーニングでした。僕にとっては体全体を作り直す感じでしたね。リハビリを進めていく過程で、トレーニングが投球のメカニズムとどう結びついているか、理解できたんですよ。ああ、この部位を鍛えれば、威力のある球が投げられる。それをつかんだんです」
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右足を上げて大きく踏み出す。地面から生まれる力を、下半身から上半身、そして腕へと伝えていく。それぞれの部位に理にかなった動きがあり、最終的には指先からボールを投じる。各パーツの出力が大きくなっていれば、それが威力へとつながる。
石井は感覚派と見なされがちだが、野球に関しては徹頭徹尾、理論派である。持って生まれた骨格、トレーニングによる身体の変化、そしてその変化がピッチングフォームにどのように影響し、投球にどんな結果をもたらすのか。インディアンスの施設でトレーニングしたことで、メカニズムが直線上に美しく並んだ。石井のなかでの「公式」が完成したのだ。
「トータルで半年くらいアメリカにいたと思います。帰国したら、『体、大きくなったなあ』と言われました。ケガの功名じゃないですけど、アメリカでトレーニングしたことで投球に関する理解が変わりましたし、実際に威力のある球が投げられるようになりました。間違いなく、あの時が僕のパフォーマンスの分岐点でした」
「速球」が「豪球」になった
スワローズ時代の同僚は、「アメリカから帰ってきて、カズのストレートは、速球というより、豪球になった」と述懐している。砲丸を投げるイメージを持てるようになったのも、この頃からだろう。配球の軸となった威力のあるストレートに加え、右打者の内角をえぐる高速スライダーが、相手打者に“恐怖”を与えるようになる。
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