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「甲子園経験なし、公立高出身のドラ3」才木浩人はなぜ阪神のエースになれたのか「(藤浪晋太郎や藤川球児の球を見ても)コンプレックスなかった」
posted2025/08/19 11:03
阪神のエースとして首位独走のチームを牽引する才木浩人。11勝、防御率1.57はいずれもセ・リーグトップ(8月17日現在)
text by

金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph by
Hideki Sugiyama / Takashi Shimizu
発売中のNumber1125号に掲載の[虎のエース秘話]才木浩人「まだ距離はあるけれど」より内容を一部抜粋してお届けします。
才木がイメージする「豪腕投手」とは
自分は豪腕投手ではない、と才木浩人は言う。
まだ違う、のだと。
「自分の中での豪腕というと、まっすぐでゴリ押しって感じですかね。それだけで勝負できるっていうか。子どものころに見ていたメジャーリーガーとか、日本時代の大谷(翔平)さんとか、あと、監督(藤川球児)とか。ぼくも基本的にはまっすぐ主体のスタイルではあるんですけど、まだそれだけで圧倒できているイメージはないんで」
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憧れはある。目指してもいる。ただ、いまだその域には到達できていない――それが彼のイメージする豪腕投手であるらしい。
だが、まだ距離はあると自覚する理想の境地を、彼は手の届くところだとも考えている。いつものように、いままでのように、いつかは届くと信じている。
高校時代に「あれ、俺のまっすぐ、わりといいな」
多くの阪神ファンが知っている通り、彼は須磨翔風という公立高校の出身である。なぜ私立の強豪校ではなかったのか。声がかからなかったから、だった。甲子園出場を目指す名門にとって、中学時代の才木はさほど魅力的な存在ではなかったということになる。
才能に自信のある者であれば反骨心を刺激され、ない者であれば卑屈になっていてもおかしくない状況だったが、才木の場合はどちらでもなかった。
「もともと、何がなんでも甲子園、というよりは、行けたらいいな、ぐらいなヤツでした。強豪校の選手と比べてどうこうみたいなのは全然なかったですね。ただ、基本的にまっすぐにはこだわっていて、それが高校に入って、ちょっとずつ自信がついていったっていうか。高2の冬ぐらいには、ファウルも取れる、空振りも取れるってことで、あれ、俺のまっすぐ、わりといいな、みたいな感じにはなっていました」
150km近くを計測するようになっていた高校時代の才木のファストボールには、NPBはもとより、メジャーからの視線も集まるようになっていた。彼の中で芽生えつつあった自信は、あながち根拠のないものではなかったということだろう。

