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「砲丸を投げこむイメージで」平成屈指の豪腕・石井一久は‟感覚派”ではなく‟理論派”だった「松井(秀喜)君、高橋由伸君をドミネートしたいって」《インタビュー》
「僕のストレートのイメージは、陸上競技の砲丸の球を、そのまま投げこむイメージだったんですよ。ドスンって」
砲丸。日米両国の速球派投手の言葉をそれなりに聞いてきたが、砲丸をイメージして投げていた――というのは石井一久が初めてである。その想像力が、石井の大きな武器になっていたことは間違いない。
1990年代後半、石井はスワローズの主戦としてビュンビュンと速球を投げ込んだ。'97年にはノーヒットノーランを達成し、'98年(241個)、2000年(210個)と2度の奪三振王のタイトルを獲得した。'02年からはロサンゼルス・ドジャースへと移籍し、ルーキーイヤーに14勝、'04年には13勝をマークしてローテーションをしっかりと守った。
石井は「自分のストレートが威力を増したなと思ったタイミングが2度ありました」と振り返る。
「生意気に聞こえることは重々承知してますけど、'92年にスワローズに入団して分かったのは、『僕は通用する』ということでした。先輩たちが投げる球を見た時に、僕はいい意味でひるまなかった。自分のストレートは通じる。足りないものは制球力だったり、一軍のマウンドでの経験だけだと感じました」
ドラフト1位で指名された高卒ルーキーが持つ並々ならぬ自信。その源になったのが高校時代の冬の鍛錬だった。
「僕は、千葉県の東京学館浦安高校でプレーしてました。チームは弱かったんですけど、トレーニングはしっかりやってたんです。冬の間はボールを持たずに、徹底した体づくり。高校生なのに、フルマラソンを走ったこともありました。なんだったんだろう(笑)。でも、春になるとその成果が如実に表れるんです。2年の春、3年の春。秋とはまったく別人になってました。ストレートの威力が増していて、そのおかげで弱小チームなのに、プロのスカウトから注目されることになったわけです」
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