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「砲丸を投げこむイメージで」平成屈指の豪腕・石井一久は‟感覚派”ではなく‟理論派”だった「松井(秀喜)君、高橋由伸君をドミネートしたいって」《インタビュー》

2025/08/14
最速156kmを誇った速球派左腕は、現役時代に数多くの三振を奪ってきた。天才肌に見られがちだが、実は野球に関しては一貫して理論派で、その活躍は緻密な分析に基づいた戦略に支えられていた。(原題:[平成屈指の豪腕]石井一久「砲丸を投げるイメージで」)

「僕のストレートのイメージは、陸上競技の砲丸の球を、そのまま投げこむイメージだったんですよ。ドスンって」

 砲丸。日米両国の速球派投手の言葉をそれなりに聞いてきたが、砲丸をイメージして投げていた――というのは石井一久が初めてである。その想像力が、石井の大きな武器になっていたことは間違いない。

 1990年代後半、石井はスワローズの主戦としてビュンビュンと速球を投げ込んだ。'97年にはノーヒットノーランを達成し、'98年(241個)、2000年(210個)と2度の奪三振王のタイトルを獲得した。'02年からはロサンゼルス・ドジャースへと移籍し、ルーキーイヤーに14勝、'04年には13勝をマークしてローテーションをしっかりと守った。

 石井は「自分のストレートが威力を増したなと思ったタイミングが2度ありました」と振り返る。

「生意気に聞こえることは重々承知してますけど、'92年にスワローズに入団して分かったのは、『僕は通用する』ということでした。先輩たちが投げる球を見た時に、僕はいい意味でひるまなかった。自分のストレートは通じる。足りないものは制球力だったり、一軍のマウンドでの経験だけだと感じました」

 ドラフト1位で指名された高卒ルーキーが持つ並々ならぬ自信。その源になったのが高校時代の冬の鍛錬だった。

「僕は、千葉県の東京学館浦安高校でプレーしてました。チームは弱かったんですけど、トレーニングはしっかりやってたんです。冬の間はボールを持たずに、徹底した体づくり。高校生なのに、フルマラソンを走ったこともありました。なんだったんだろう(笑)。でも、春になるとその成果が如実に表れるんです。2年の春、3年の春。秋とはまったく別人になってました。ストレートの威力が増していて、そのおかげで弱小チームなのに、プロのスカウトから注目されることになったわけです」

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photograph by Koji Asakura

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