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「7回に突然、肩に激痛が…」山梨学院“夏の甲子園初勝利”のヒーローが暗転「命にかえても、と投げ続け」悲劇の“高校ナンバーワン左腕”が歩んだ道
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2025/08/12 11:03
「高校ナンバーワン左腕」と注目を浴びた山梨学院大附の伊藤彰投手。3年夏の甲子園では初戦の熊本工戦でリリーフ登板したが……。
「それも嬉しかったです。荒木さんの名前と重ね合わせて期待してくださったということですからね。何もかも、ありがたいお話だった。本当に。だからこそ、私は何も力になれなかった歯痒さと申し訳なさというのを今も忘れることができない。当時のことを思い出すと“ありがとうございます”という気持ちと、“すみません”という思いが同時に浮かんで来るんです」
大志を抱きプロの門をくぐる17歳の胸に一抹の不安があったとすれば、それは……。
「突然、左肩に激痛が走りました」
伊藤さんが全国から注目を浴びたのは、山梨学院大附が夏の甲子園に出場した2年生の時だった。鳴門高校との1回戦で、4回2死一、二塁のピンチでリリーフ登板。いきなり2点タイムリーを許したものの、5回以降は3安打に抑えて0を並べ、同高の夏の甲子園初勝利の立役者になった。
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3年生になると、ドラフト候補の「超高校級」左腕として注目はさらに高まった。最後の夏を前に実戦で次々と三振を奪い、7月初旬に行われた東海大菅生との練習試合にはプロ10球団のスカウトが集まり熱視線を送った。夏の県大会では準々決勝から3連投。しかし、甲子園切符を賭けた市川高校との決勝戦の最中に悲劇が襲いかかった。
「7回に突然、左肩に激痛が走りました。ベンチも異変を察知して、マウンドにキャプテンが伝令に来た。その時点で5−0でリードしていたので、自分から交代したいと言えば可能だったでしょう。でも私は『大丈夫だから』とキャプテンを押し戻してしまった。
指導者になった今でこそ、あそこで止めておくべきだという考えになりますが、17歳の当時はそんなこと頭になかった。あといくつかアウトを取れば甲子園に行ける。そんな時にマウンドを降りるなんて選択肢はない。命に換えても、というくらいの思いで投げていましたから。30年前は私だけでなく、みんながどれだけ投げ続けられるか、という勝負をしていた。そういう時代でした」

