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「オレが投げる日は抑えをやれ」ロッテで先発転向・牛島和彦に村田兆治の要望も…「200勝まで残り4勝は自分でやってください」でキャリアハイ
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赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byMakoto Kemmisaki
posted2025/08/05 11:13
ロッテ移籍後もクローザーとして奮闘し、村田兆治の200勝へ大きくサポートした牛島だったが、先発転向を決意して……
そして、牛島はロッテ移籍3年目の89年、抑えから先発に転向することになった。中日時代の85年、シーズン中に抑えと先発を兼任して以来、4年ぶりの再挑戦である。これもまた、有藤監督が牛島を思いやっての配置転換だった。
「89年は僕にとって、ちょうどプロ10年目の節目の年でした。その前年の88年、有藤さんが勧めてくれたんです。『移籍して2年、中日時代からもずーっとクローザーやって、精神的に疲れただろう。気分転換も兼ねて、先発をやってみるか』って。
僕自身、リリーフでは成功したけど、先発では成功していない。もう28歳やから、ラストチャンスやと思った」
チームで一番のエースになってみたい
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これに異を唱えたのが、エースの村田兆治(当時39)だった。
そもそも、中日にいた牛島を、86年にトレードで獲得するよう球団に進言したのが村田である。自分が200勝を達成するため、終盤を抑えてくれるクローザーが必要だったのだ。
「村田さんは、『俺が投げる日は抑えでベンチに入れ』って言うんですよ。200勝にあと4勝まで来てた頃やから、最後までやってくれと。ロッテに来てから14~15回ぐらい、村田さんの後で抑えをやって、失敗したのは1回だけでしたからね。
その時は、『残り4勝は自分でやってください』って言いました。村田さんにもすごく可愛がってもらいましたけど、さすがに『2年も抑えをやったんやからもういいでしょう』って(笑)」
現役でいるうちに、もう一度先発に挑戦したい。チームで一番のエースになりたい。それは、中日からロッテにトレードされた時から、牛島が胸に秘めていた思いでもあった。


