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PL学園の暴力事件…原因は本当に野球部だけにあったのか? “事実上の廃部”から9年…地元はひっそり「ほんまにがっかり」PL花火も消えた夏
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柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/29 11:06
PL学園が出場した最後の夏の大会。2016年夏、初戦の2回戦で敗れて泣き崩れる選手
「ほんまにがっかり…」PL花火が消えた夏
さらに近鉄電車に乗って隣の富田林駅に移動し、PLの本庁へタクシーで向かった。もちろん、現在は聖地内に足を踏み入れることはできない。歴代教祖の遺骨が納められている奥津城や正殿のある聖地を外から望むことしかできないが、学園同様、人の姿が見えず聖地全体が閑散としている。タクシーの運転手が話す。
「野球部が活動をやめたあたりから、PLの本庁を訪れる人もめっきり減りました。我々も昔はよく本庁まで人を乗せていたんですが、現在はPL病院に通院する人の送迎ばかりになっています」
PL教団本庁の近くにはかつて、遊園地の「PLランド」が存在し、人形劇の「劇団カッパ座」も存在した。しかし、PLランドは1989年に完全廃業した。タクシー運転手が続ける。
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「PLランドには大きな流れるプールがあり多くの人で賑わっていた。それもとうの昔になくなってしまった。それでも花火大会が開催される8月1日だけは、とにかくすごい人、人、人やった。富田林にある畑に陣取って、花火を見上げる人もおりました。花火が終わると、富田林や喜志の駅まで、人の行列ができていました。2000年代以降、規模こそ縮小されていきましたが、最後に開催されたコロナ前の2019年もそれなりの人が集まっていた。花火大会がなくなってしもうて、富田林の人間はほんまにがっかりしています」
富田林に住む人々は誰しも花火大会がなくなってしまったことを憂いている。
「イノシシが出没している」
また、広大な聖地にはかつて約1万本の桜が植えられており、春の聖地を桃色に彩っていた。だが、その桜の木も多くが伐採されてしまったという。ある元教団教師(布教師)がとても笑えない話をしてくれた。
〈つづく〉

