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「なんで直輝ばっかり…」幼馴染の妻が明かす“浦和の天才”山田直輝の悲劇…ロンドン五輪直前で靭帯断裂「亡き祖母のため息が忘れられない」
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山田A子A-ko Yamada
photograph byFAR EAST PRESS/AFLO
posted2025/07/29 11:00
左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負う3日前の山田直輝(当時21歳、浦和レッズ)。2012年ロンドン五輪での活躍が期待されていた
それは、そんな週末に訪れた悪夢だった。
私は、ヤマダ家のお母さんとおばあちゃんと一緒に、ヤマザキナビスコカップを観戦するために埼玉スタジアムに来ていた。ヤマダ君はロンドンオリンピック予選メンバーのなかでも頭角を現し、レッズの試合でも存在感を放っていた。
度重なるケガを経て、ようやく本来の感覚を少しずつ取り戻し始めた。あと一歩、あと一歩で自分のサッカーが体現できる、そんな矢先のことだった。
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試合前半。彼が相手選手と接触し、倒れた。仰向けになり、顔を両手で覆う。スタジアムが、時を止めたように静まり返った。
その瞬間、私は悟った。彼はもう、ロンドンオリンピックには出られない。
味方選手たちが続々と駆け寄り、彼の様子をうかがう。そして1人の選手が、救護班に向かって、大きく両腕で“バツ印”を送った。そのサインが、わずかに残っていた、「たいしたケガではないかもしれない」という希望を打ち砕いた。
今は亡きおばあちゃんの、「やだよう、もう。なんで直輝ばっかり……」というため息を、今も忘れられない。ヤマダ君は、メディカルチームによって病院まで運ばれた。
母の口癖になった「七転びナオキ」
スタジアムに残された私たち。帰りの車で、彼のお母さんが、「大丈夫だから! 人生っていうのは“修行”だから。この経験で、直輝はまたきっと強くなるから」と言い続けた。このころからお母さんは、直輝という名前にかけて「七転びナオキ」と、よく言うようになった。
わが子が目の前で担架で運ばれていく光景は、どれほど心をえぐられるものだろう。それでもお母さんは、みんなを気遣い、気丈に振る舞っていた。そんな姿に私は胸が詰まった。
でもこのときの私は、このあいだ聞いたばかりの「オリンピックに出られなかったら、人生で初めて挫折を味わうことになる」という彼の言葉が、頭の中で反響し続け、車内を盛り上げる余裕も気力もなかった。
その後の検査で、ヤマダ君は前十字靱帯断裂・半月板損傷と診断された。そして、オリンピック代表メンバーから落選した。オリンピック、そしてワールドカップは、彼がサッカー選手として掲げてきた指針であり、夢だった。
この落選は彼にとって人生で初めての、そして最大の挫折となった。
〈後編に続く〉


