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「選手へのリスペクトは挫折から…」矢部浩之が明かす、高校で出会った“バケモン”と『岡村を吉本に誘った』ワケ
posted2020/11/29 11:03
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Shigeki Yamamoto
矢部さん自身も「新たなチャンス」ととらえているこの新番組だが、そもそも選手に愛される“やべっち”はどうやって誕生したのだろうか? その裏には、10年以上も消えなかったという“サッカー人生での挫折”があった――。(全2回の2回目/#1へ)
――矢部さんは、『やべっちF.C』を進行する際、選手へのリスペクト、選手ファーストがベースにあるとおっしゃいました。その考えは、どのようにして育まれたのでしょうか。
矢部 「選手へのリスペクトは、僕の挫折から来ていますね。高2の時、大阪選抜のトレセンに行ったんですよ。最終的にゲームでメンバーを決めることになったんですけど、試合に出ないで監督の横に座っている2人がいて。なんで? って思ったけど、2人は決まっていたんですね。まぁうまいし、バケモンなんで(笑)。それが、北陽の山口敏弘(元ガンバ大阪)と高槻南の杉山弘一(元浦和レッズ)でした」
――それが悔しかった?
矢部 「もちろん悔しかったけど、その2人は小学校から別格だったので仕方ない。でも自分は自分で自信があったし、長所を見せてやろうと思って参加したんです。それで、勢い十分に試合に臨んだら、180センチのDFにフィジカルで負けて倒されて。結局そのまま、いいところを見せられなくて選抜から落ちたんです。
自分はできると思っていたので、もう悔しくて、悔しくて……しかも自分を倒したそのDFが選抜に受かってたんですよ。その時、僕は相手を認められへんかった。でも、大人になってから下手でもフィジカルとか何か1つを極めたらプロになれる。それはすごいことやと気が付いたんです」
――プロになれることは、何にしてもすごいと。
矢部 「プロになるのって簡単じゃないんですよ。上手いだけじゃダメで、何かこれはというのを1つ持っていないといけない。強い気持ちだけじゃなくて、監督との出会いや素晴らしい選手とプレーができたとか、そういう巡り合わせや運も大事やと思うんです。
僕は、高校時代に10番を背負って、周囲からちやほやされて“裸の王様”になっていたんで、そういうことが分かってなかった。中村俊輔選手はキック1本、そのストロングポイントを信じてやってきたし、ゴン(中山雅史)さんもカッコいいんですよ。『僕は下手です、だから人よりたくさん走るんです』と言えることがすごい。そんなこと聞いたら17歳の時の自分が恥ずかしくて……。だから、プロはなれた人はほんまにすごいと思うんです」
――その視線が選手へのリスペクトにつながったんですね。
矢部 「自分は(プロには)なれなかったんで」
サッカーから「お笑い」に進んだのは……
もし、選抜メンバーに入っていたら「お笑い芸人・矢部浩之」は誕生せず、選手に愛される“やべっち”もいなかったのかもしれない。サッカーを選択せず、お笑いの道を選んだのは自分の意志だが、その契機となったのはいったい何だったのだろうか?