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アントニオ猪木“舌出し失神事件”で大ブレイク…ハルク・ホーガンはなぜ新日本プロレスから“世界のスター”になったのか? 日本と縁深かったプロレス人生
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2025/07/27 11:20
新日本プロレス時代のハルク・ホーガン(1982年撮影)
原点は、“新日本でのルーキー時代”にあった
ホーガンは1993年に一度WWFを退団し、翌94年に競合団体のWCWへ移籍。そこでまさかのヒール転向をはたし、ケビン・ナッシュ、スコット・ホールとともにnWo(ニュー・ワールド・オーダー)を結成し社会現象を巻き起こした。この衝撃のヒールターンは、今年のWWE『レッスルマニア41』でベビーフェイス中のベビーフェイスだったジョン・シーナが悪に寝返ったモチーフとも言われている。30年以上色褪せないインパクトがあったということだ。
このnWo人気は日本にも飛び火し、蝶野正洋、武藤敬司(グレート・ムタ)らがnWoジャパンとして、日本とアメリカを股にかけて活躍するようになる。80年代カルチャーの象徴でもあるホーガンは、90年代にも日米で新たなムーブメントを起こしたのだ。
それら世界規模のホーガン現象の原点は、やはりルーキー時代の新日本プロレスでの日々。猪木によって磨かれ、猪木を研究し、ついに猪木を越えて世界的スーパースターになった唯一の男、ハルク・ホーガン。その功績に心から敬意を表したい。
