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「長嶋監督に泣いていると思われて」松本匡史と篠塚和典が語る巨人“地獄の伊東キャンプ”の本音…長嶋茂雄流の育成術とは「やってよかったと思うけど…」 

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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photograph bySANKEI SHIMBUN

posted2025/07/31 17:00

「長嶋監督に泣いていると思われて」松本匡史と篠塚和典が語る巨人“地獄の伊東キャンプ”の本音…長嶋茂雄流の育成術とは「やってよかったと思うけど…」<Number Web> photograph by SANKEI SHIMBUN

第一次監督時代の長嶋は、積極的にグラウンドに立って選手を直接指導した

 左打ちの習得は学生時代から悩まされてきた脱臼を防ぐ意味でも効果があった。

「右打者は左肩を軸に体を回転させるから左肩に負担がかかって、脱臼しやすくなる。私がプロで初めて脱臼したのも、抜いた球に泳がされながらスイングした際に、グリップから右手を離したことが原因だった。その点、左打ちは右肩が軸でしょう。左肩がすごく楽になりました」

 松本の打ち込みを見守っていた長嶋は、時に松本のグリップを包み込むように両手で覆い、上から振り下ろすスイングを繰り返させた。やがて松本の手の平はマメだらけになり、それが潰れても薬を塗って振り続け、ついには練習を終えてもバットが手から離れず、コーチに剥がしてもらわなければならなかったほどだという。

猛練習をやりぬかないと解雇されるという覚悟

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 内野から外野へのコンバートも脱臼防止の一助になった。松本は'79年3月、練習中に頭を越えそうなイレギュラーバウンドを捕ろうと左腕を伸ばし、脱臼した。外野にはそうした打球はほとんど飛んでこない。

「午後の外野ノックはキツかったな。いつもぎりぎりで打球が捕れないのが悔しくてね。監督に泣いていると思われて、『涙汗か』と言われたのも守備練習の時です」

 それでも、自分にはもう後がない。この猛練習をやり抜かないと解雇されるという覚悟が、「地獄の伊東」を完走させた。

 長嶋による指導方法は過酷だった。が、理に適っていたこともまた確かだ。そんな長嶋流育成術の最も重要なポイントは何か。「イメージですよ、それぞれの選手の個性をつかみ、いかにして自分のイメージに近づけるかにあると思う」と松本は言う。

「長嶋さんは、私の足を買って巨人に入団させた。1年目に('77年4月19日、阪神戦)、9回2死から代走デビューしているんです。そこで私が二盗を決め、同点、逆転に結びついた。当時はリスクが大きい采配と批判されましたけど、あの時から、私の個性を生かして主力に育て上げるイメージを探っておられたんだと思います」

 もっとも、伊東での練習は「やってよかったと思うけど、楽しかったとは思わない」と言う。命がけで「地獄」をかいくぐった松本の、紛れもない本音だろう。

伊東キャンプの前日に、長嶋が飛ばした檄

 そんな松本とは対照的に、「伊東は楽しかった」と言い切るのは篠塚和典だ。通算打率3割4厘を誇り、'84、'87年と2度首位打者に輝いた巨人きっての巧打者であり、かつ長嶋がドラフト1位で獲得した秘蔵っ子的存在。当時は4年目の22歳だった。

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