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巨人若手が長嶋茂雄にキレた日「監督! 自分もやってみろ!」“地獄の伊東キャンプ”伝説…巨人軍にシゴキがあった時代「殴ったりもした」コーチの鉄拳制裁も
posted2025/06/30 17:47

第1次政権時代の巨人・長嶋茂雄監督。1979年、「地獄の伊東キャンプ」で18人の若手をシゴいた
text by

永谷脩Osamu Nagatani
photograph by
AFLO
◆◆◆
「監督! 自分もやってみろ!」
一日の練習の上がりは馬場の平へのランニングだった。1周1kmのコースに急な登りが200m、300mと続く。キャンプ序盤は1周で音を上げていた選手が、最後には7、8周平気で走れたという。そしてその出来事は、キャンプも終盤に入った頃、ランニングコースで起きた。
中畑が懐かしそうに語る。
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「いつもミスターは笑いながら『さあ、いくぞ!』って号令をかけていた。ある時、篠塚(和典)が『監督! 言うだけじゃなくて、自分もやってみろ!』って言ったんだよ。『やって下さい』じゃなくて『やってみろ』だよ、あのクールな篠塚が。そしたらミスターはあの性格だから、『えーっ、冗談じゃないぞ。見とけよ!』って言って走り出したんです。
みんなでゴールではなく、下り坂で見てみようと向かったら、ガニ股でハアハア言いながらあのカッコいいミスターが下りてきた。すると『ナーガシマ! ナーガシマ!』とコールが起こったんだ。ミスターは最後まで走り通しました。それまでは絶対的な雲の上の人だったのが、監督と選手というより、人と人とのつながりができた、その瞬間だったんじゃないかな。今でも篠塚には『よく言ってくれた』って思ってます」
「腹筋鍛えて、死んだ奴はいない」
地獄の伊東キャンプの成果は何よりも「巨人軍」としての一体感が選手と選手、そして選手と監督の間に生まれたことだった。参加した主な選手は、投手では江川卓、西本聖、角、鹿取義隆、野手は中畑、松本、篠塚、山倉和博。このメンバーの多くが、1981年以降の黄金期に貢献していくことになる。
先輩から受け継いだものを確実に下の世代に継いでいくのも巨人軍の伝統だった。江川、中畑たちの時代が終わり、80年代半ばから吉村禎章、駒田徳広、槙原寛己たちの時代がやってくる。この“背番号50番トリオ”を中心に、岡崎郁、川相昌弘ら生え抜き選手が成長していく。彼らを支えたのもやはり、多摩川グラウンドでの、地獄の猛練習だった。