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「四番・サードという宿命」原辰徳が背負った“長嶋二世”の期待…巨人入団前、長嶋茂雄との「ちょっとチグハグな対談」で嬉しかったこと
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鷲田康Yasushi Washida
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2025/07/30 17:02
1995年シーズンで引退した原と抱き合う長嶋監督
「巨人にドラフト指名された夜にわざわざ長嶋さんは『おめでとう!』と自宅に電話をしてきてくれた。ただ実際にお目にかかるのはあの時が初めて。直接、ご挨拶をさせてもらって……。ただ対談が始まるとちょっと様子がおかしかったんです」
実は原がドラフトで指名された'80年は入団5年目の中畑清が22本塁打をマークして三塁に定着。監督の藤田は原の二塁コンバート案を模索している最中だったのだ。
「最初から『セカンドで頑張らないとね』みたいな話を一生懸命されるんですね。でも僕は『四番・サード』を目指して巨人に入ったわけです。それで『僕、セカンドなんですか?』って聞いたのを覚えている」
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原のこの問いに、長嶋は慌てた様子で「いやいや、それはこれから決まることだからね……」と言葉を濁したという。
そんなちょっとチグハグな対談だったが、原が嬉しかったのは長嶋が原の手を見てこんなことを語っていたことだった。
「これは野手の手ですよ、オレと一緒だ」
こう言うと長嶋は原の目の前に自分の手をかざして見せてくれた。
「ホントに長嶋さんの手と僕の手はよく似ていた。手の平が大きくて、その割に指が短いんです。それを野手の手だ、って言っていただいたことが凄く嬉しかった。オレと長嶋さんの手は一緒なんだって。そのことも印象に残っていますね」
時代は易々と原を「長嶋二世」と認めなかった
長嶋の“愛弟子”といえば、第2次監督時代の教え子で元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜の名前を誰もが思い浮かべる。ただ、巨人を追われた長嶋の“後継者”として、いわゆる「長嶋二世」としての期待を一身に背負ってグラウンドに立ち続けたプレーヤーは、後にも先にも原以外にはいなかったはずである。
ただ時代はそう易々と原を「長嶋二世」と認めようとはしなかった。
【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内の「松井くんは真正面から、僕は背中から長嶋さんを…」原辰徳が背負った巨人の“四番サード”という宿痾「周りは敵のほうが多かった」《長嶋茂雄二世の苦悩とは?》で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。
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