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女子体操・宮田笙子が激白60分「周りの視線…本当に怖かった」 規律違反によるパリ五輪辞退で「体操を辞めることも考えた」本人だけが知る“真実”
text by

矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAsami Enomoto
posted2025/07/24 11:00
2024年の経験を経て、新たな挑戦の道を歩み始めた女子体操・宮田笙子(20歳)のインタビュー(初回/全3回)
規律違反での五輪辞退…当時の“本当の思い”
ところがパリ五輪が開幕する1週間前のタイミングで、国内合宿中の飲酒と喫煙が内部通報によって発覚。日本オリンピック委員会が定める「国際総合競技大会派遣規程」と日本体操協会の「日本代表選手・役員の行動規範」に違反しているとされ、体操協会の処分ではなく宮田自身がパリ五輪代表を辞退する運びとなった。宮田は五輪開幕直前に合宿地のモナコから日本に帰国した。
4年に一度しかない大舞台。あやまちを犯したとはいえ、失ったものはあまりに大きく、「体操を辞めることも考えた」というのは無理からぬことだった。
1年が経った今、宮田は当時の心境について「現実を受け止めきれない気持ちがありました」という率直な言葉に続け、沸き上がっていた偽らざる思いを語った。
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「先生方から、次に何のために頑張るかは時間をかけて定めていけばいいと言われたし、自分でもそう思っていても、やはりすぐに切り替えられるものではない。それに、体操をやっていく上では周りの視線をどうしても気にしてしまう。だから本当に怖かったです。誰がというのではなく、みんなが何を思っているかが分からないので、あの頃は怖いという一心で、どうすればいいのか分かりませんでした」
しかし、それでも宮田は立ち上がった。
「怖かったけど、体操が好きな思いがなくなった訳ではなかったからです」
復帰後も、心は不安定に揺れていた
2024年9月7日、佐賀県で行われた国民スポーツ大会に高校時代を過ごした福井県の代表として出場し、団体優勝に貢献。試合後は自ら報道陣の前に立ち、「この度は私が取った行動によって、たくさんの多くの皆様にご迷惑をかけてしまい、深く反省しております。申し訳ありませんでした。この件に対し、真摯に向き合い、今後の競技生活を全うしてまいりたいと思います。ありがとうございました」と言い、深々と頭を下げた。
これが公の場への復帰だった。だが、気持ちの浮き沈みはその後も続いた。とりわけ、冬場に心身を休めるための時期を過ごした後は心が余計に揺れ動いた。
「何も考えずに体操をやるのも変だし、かといって考え始めると考えすぎてしまう。気がつくと塞ぎ込んでしまって、体より心の面で落ちてしまう。そこを修復するのが難しかったです」
不安が大きく膨らんだのは今年4月の全日本個人総合選手権の前。3月にあったトライアウトを経て出場資格を得ると、再び、周りからどう見られるのかが気になり、怖さがよみがえってきた。


